むかちん歴史日記290 ランチで聞きたい経営者伝⑤ サントリーを飛躍的に成長させた~佐治敬三
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はランチで聞きたい経営者伝の第5弾!!!
サントリーを飛躍的に成長させた
佐治敬三(1919-1999)
を紹介します。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO05083170R20C16A7000000?channel=DF010420167210
◆佐治敬三は1919年、サントリーの創業者、鳥井信治郎の次男として誕生します。
佐治は子供の頃に養子縁組をして「佐治」姓になりますが
そのまま実父母のもとで暮らし、
1942年に大阪帝国大学理学部を卒業します。
1945年にサントリーの前身である寿屋に入社します。
1961年に社長に就任するが、ただの世襲社長ではなく、
祖業の葡萄酒、ウイスキー事業を行っていたが、そこにさらに1963年、ビール事業に乗り出します。
しかし、既存3社の壁は厚く、ビール事業の不振が続きます。
ですが、あきらめず、事業を継続しました。
佐治が亡くなって約10年後の2008年、ついに万年4位だったサントリーは主力のモルツ、プレミアムモルツが牽引して、
ビール事業でサッポロビールを出荷本数で抜いて3位に躍進する結果となるのです。
https://lohaco.jp/product/4608055/
また佐治は文化のサントリーを作り出した側面もあります。
1961年にサントリー美術館、1986年にはサントリーホールを開館。
日本を代表するクラシック音楽の殿堂となりました。
サントリー出身でのちに作家として有名になる開高健は佐治がコピーライターとしてサントリーに雇い入れ、サントリー在職中に芥川賞を受賞します。
佐治と開高はこうした関係から友情も深めます。
2人で組んで作った広告はことごとく成功し、企業業績を大きく伸ばしていきます。
サントリーはウイスキーとビールを核に総合飲料メーカーに成長し、80年代には就職先人気企業ナンバーワンになります。
佐治は1990年にサントリー会長となり、
1999年、肺炎で死去します。80歳でした。
◆名言
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いちいち学歴や職業を聞いておれん。一生懸命生きとるかどうか、それだけや
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“青年の心”で“日々新たに”生きる
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こまやかな目配り・気配り・思いやりを大切に
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広告は人を説得するための最も強力な手段
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夢大きく膨らませてみい。膨らますことしか、これからの将来はない
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猛烈に働いてもいいが、猛烈に遊ぶということができないといけない
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自由奔放に発想して、自分の力で実行していくこと
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ベクトルが合えば、色々な商品が生まれてくる。そうなれば「やってみなはれ」でヒットも出る。逆目になると不満分子が出て逆方向に回すから、気合ですわ。エネルギーと情熱
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出る杭は伸ばす
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とにかくワクワクしながら仕事をしてみろ。そうじゃないと人生は面白くならないぞ
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失敗してもええから、全力でやれ
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損だと思いながらも挑戦することが必要
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必ずしもトップダウンだけに頼るなと言いたい。リスクヘッジを社長にしておきながら仕事をするような生温かいことでは、これからは生きていけません。自分自身でやってみるというリスクテイキングな働きを期待しているんです。組織の精鋭なら自律自走しろ
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むかちん