むかちん歴史日記285 お笑いは世界を救うシリーズ⑤ 関西を代表するコメディアン~ミヤコ蝶々
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、お笑いは世界を救うシリーズの第5弾!
上方漫才で関西をリードし続けた漫才師
ミヤコ蝶々(1920-2000)
を紹介します(*^▽^*)
https://showa-g.org/men/view/569
父は家具屋を営んでいたが、思い付きで家具屋をたたんで芝居一座を結成し、娘を座長に据えます。
蝶々は漫才、喜劇、バレエなど様々な芸を身に付けます。
1942年、吉本興業入りし、一座を解散。
1947年に弟子だった鈴夫と結婚して、1948年には「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成して、初舞台を飾ると、
1949年にはラジオ番組を持つようになります。
1952年には宝塚新芸座に参加し、大阪・道頓堀を拠点に活動しながら、『漫才学校』『夫婦善哉』といったラジオ草創期の番組で司会を行い、その知名度を高めていきます。
※音声のみ
1974年に道頓堀の中座で1か月公演をこなし、脚本、主演、演出の3役をこなします。
これは好評で、その後25年間定期公演を行うという快挙を成し遂げます。
タレントとしても活躍し、1971年にギャラクシー賞、、1984年には紫綬褒章を受章します。
2000年、腎不全により死去。
80歳でした。
むかちん