むかちん歴史日記258 歴史に残る名優をめぐる旅行シリーズ③ 日本のお母さん~山岡久乃
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、歴史に残る名優をめぐる旅行シリーズの第三弾!!!
日本のお母さんと慕われた名女優
山岡久乃(1926-1999)
を紹介します(*^▽^*)
https://anatanokurashini.info/3144.html
◆山岡久乃は1926年に東京に生まれます。
1942年に33期生として宝塚音楽舞踊学校にはいりますが、
第二次世界大戦が勃発、戦況が進むにつれ、
山岡は劇団生活に限界を感じるようになり、
一度も舞台を踏むこともなく、1944年に退団します。
戦後の1946年、俳優座に入団し、同年に初舞台を踏みます。
1954年、同じ俳優座の仲間とともに劇団青年座を結成します。
青年座には1971年まで所属しました。
山岡は1953年からテレビでも活動をし、1966年主演映画『こころの山脈』も公開、
着実にステップアップしていきました。
そして山岡の女優としての地位を不動にしたのが1970年の水前寺清子主演『ありがとう』。
この作品は視聴率50%を誇る怪物ドラマで、このドラマをきっかけに森光子や京塚昌子らとともに白いかっぽうぎの似合う「日本のお母さん」としての女優の立ち位置を確立していきます。
http://dswakazou.blog84.fc2.com/blog-entry-12.html
実際、山岡はその面倒見のよさや、手料理を持参してスタッフにふるまうなど、その気前のよさからも「お母さん」と慕われていました。
山岡はTBSプロデューサー石井ふく子作品、また脚本家、橋田寿賀子のドラマに出演することが多かったため、
「石井ファミリー」「橋田ファミリー」と評されました。
山岡の晩年の代表作といえば、橋田寿賀子のドラマ
『渡る世間は鬼ばかり』の岡倉節子役です。
1990年からこのドラマに出演してきた山岡ですが
1998年、突然降板してしまいます。
番組でも岡倉節子が突然亡くなったことになるので、
視聴者としても驚きを隠せない人も多かったのではないかと思います。
この降板劇にはプロデューサー石井ふく子や脚本家、橋田寿賀子との確執があったのではないか、など様々な憶測を呼びましたが、
実際は、山岡はすでに胆管がんに侵されていたのです。
山岡は
「70年突っ走ってきてそろそろゆっくり歩いて行こうかと思っていた矢先に『癌』という最悪のシナリオを頂いてしまいました。
ただ、幸いなことに、このシナリオには結末が書いてありません。
私が自由に演じていいことになっているんですね。
力が入りますよ。
もう少し時間がかかると思いますが、しばらくこの女優の底力を見守ってください」
というコメントを発表。
そうした事実を橋田寿賀子も知らなかったようです。
しかし、山岡はコメント発表の2か月後の1999年、72歳で亡くなります。
むかちん