むかちん歴史日記257 歴史に残る名優をめぐる旅行② 日本のシャンソンの女王~越路吹雪
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、歴史に残る名優をめぐる旅行シリーズの第2弾!!!
日本シャンソンの女王、
越路吹雪(1924-1980)
を紹介します(*^▽^*)
https://columbia.jp/artist-info/koshiji/prof.html
◆越路吹雪は1924年、東京・麹町で5人兄弟の3番目として誕生します。
父が新潟へ転勤になり、越路も新潟へ行きますが、これが「越路吹雪」という芸名の由来になります。
高校を中退して、宝塚音楽歌劇学校に入り、1939年の月組公演で初舞台を踏みます。
越路は男役スターとして活躍し、当初はその他大勢の役であったものの、
花組に所属してからの1943年の『航空母艦』で演じた森の石松役が評判となり、注目を集め始めます。
1944年には宝塚大劇場が戦争により閉館すると、先行きを不安視した生徒たちが退団、これにより若手が台頭するようになり、越路はその筆頭格でした。
1946年、花組公園「ミモザの花」が好評を博し、このフィナーレで越路が歌った「ブギウギ巴里」が評判となって、レコード化され、宝塚最大のヒットになります。
1951年、帝劇コミックオペラ「モルガンお雪」に主演、この主演で越路は国産ミュージカル女優第一号になります。
同年に宝塚を退団、1968年にフリーになるまで17年間東宝の専属スター女優として主にミュージカルで活躍したほか、歌手としてシャンソンや映画音楽を多くカヴァーします。
多くのシャンソンを日本に紹介したことで有名で「シャンソンの女王」と呼ばれます。
シャンソンとはフランスの歌謡曲のことで、これを作詞家・翻訳家の岩谷時子が翻訳し、越路が歌っていました。
越路は1953年、当時では珍しいワンマンショーのリサイタルを開き、彼女が亡くなるまで、ロングリサイタルと呼ばれる一か月にわたる長期公演を行いました。
これが越路吹雪を歌手として不動の位置にしました。
越路は同年、パリへ渡りエディット・ピアフの公演を初めて聴きます。
ピアフは彼女の代表曲「愛の讃歌」の原曲を歌うシャンソン歌手で、
彼女が目標とする歌手でもありました。
宝塚のOG枠を超えた人気が越路にはあり、
美空ひばり、吉永小百合と並んで、女性アイドルの源流とみられています。
また1964年から開始されたフジテレビの長寿番組「ミュージックフェア」の初代司会者でも知られます。
1980年、精力的に芝居にも挑戦していた時期であったが、胃に激痛が走り入院。
本人には知らされなかったが、末期の胃がんでありました。
越路は56歳で逝去します。
むかちん