むかちん歴史日記455 映画化された偉人たち⑤ フランスで最も愛された歌手の一人~エディット・ピアフ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)
今日は、映画化された偉人たちシリーズの第5弾!!!
フランスで最も愛された歌手の一人、
エディット・ピアフ(1915-1963)
を紹介します(≧▽≦)
参照元 https://poesie.hix05.com/Chanson/01piaf.html
参照元 www.amazon.co.jp/dp/B000ZUOX9Y
◆エディット・ピアフは1915年、パリの貧しい地区に誕生します。
母親はカフェのシンガー、父親は大道芸人という家庭に生まれ、両親は貧しかったので、ピアフを育てる余裕はなく、母方の祖母の元へ送ったが、祖母が彼女をひどく嫌がったため、ノルマンディー売春宿を営んでいた父方の祖母のもとへ連れていかれます。
こうした背景からピアフは早い時期から娼婦や様々な売春宿への訪問者と接触を持ち、彼女の人生に大きな影響を与えます。
1935年、ピアフはナイトクラブのオーナーに見いだされ、彼の店で歌を歌うようになります。このときに142センチという彼女の小柄の姿から雀=ピアフという愛称を与えられます。
ピアフの代表曲「ばら色の人生」は第二世界大戦の占領下で書かれました。
彼女はこの時期に大きな成功を収め、クラブでドイツ高官のために歌を歌うことによってフランス人の捕虜たちとの写真撮影を認められました。
これは実は裏で、写真を切り取って、捕虜の脱出計画に使う文書を作成しており、フランスのドイツに対するレジスタンスに貢献したと言われています。
また慰問先の捕虜収容所から何人かの捕虜をバンドメンバーに紛れ込ませて、脱走させるという作戦も実行しました。
戦後、ピアフは世界的人気を博し、ヨーロッパ、アメリカ、南アメリカと公演旅行へ出かけます。
彼女の『愛の讃歌』は日本では、越路吹雪さんがカヴァーしたことで有名です。
ピアフは1963年に48歳の若さでこの世を去るまで、シャンソンの女王として、フランスでは別格の人気を誇り続けました。
そして彼女の死は古い時代のシャンソンの終わりをつげ、新しいシャンソンの時代への幕開けともなりました。
むかちん