むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記382 歴史上有名な反乱指導者たち② イングランドの議会制度を築いた~シモン・ド・モンフォール

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は歴史上有名な反乱指導者たちシリーズの第二弾!!

 

イギリスの議会制度の礎を築いた

 

シモン・ド・モンフォール(1208-1265)

 

を紹介します。

 

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参照元 https://www.sekainorekisi.com/my_keywords/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB/

 

国王の大陸領土奪還の野心のための圧政に対する反乱

 

◆1208年、シモン・ド・モンフォールは生まれます。

彼の父はフランスのノルマンディー出身の名門貴族で、アルビジョア十字軍で活躍しました。

 

モンフォールは1230年にイングランドへ渡り、1239年にレスター伯になります。

 

この時代、イングランドはヘンリ3世の治世でした。

彼が即位した当初は幼少でしたので、摂政が政治を行っていましたが、政情は安定していたのですが、1230年ごろから親政を始めると、彼は大陸領土回復の野心を燃やし始めます。

 

これが当時のイングランド国内の貴族の反発を招きます。

 

というのも、ヘンリ3世の前代の国王はあの欠地王ジョンで、

ジョンの時代にフランス王フィリップ2世と対立して、大陸の領土をほとんど失いました。

しかし、ジョンはこれを挽回しようとイングランド国内の貴族にさらなる軍役を強いろうとしますが、これが反発を招き、むしろ貴族の不満を救済するようにジョン王に迫り、貴族の要求をまとめたものをジョンに飲ませます。

 

これがかの有名な大憲章、マグナカルタです。

 

そもそも前提として大陸領土のために戦争することに対して、強い忌避感があった貴族たちの不満が鬱積している中で、

ヘンリ3世はたびたびマグナカルタを破り、専制を行いました。

 

彼は大陸政策を進めるために貴族に課税しようとしたことが引き金となり、

モンフォールはこれに強く反発、挙兵します。

これがいわゆる「シモン・ド・モンフォールの反乱」です。

 

「オクスフォード条項」をヘンリ3世に認めさせ、

貴族の代表による国王の政治に対する監視機関の設置、定期的な議会の招集などを約束させました。

 

しかし1261年、力を盛り返したヘンリ3世がこの条例を一方的に破棄して、再び王権の強化を図って、反王党派の貴族を排除して、フランス貴族を重用しようとしたため、1263年再び貴族の反乱を組織、1264年にはヘンリ3世を一時捕虜にします。

 

 

いつの世も繰り返される権力の集中に対する反乱

 

モンフォールはイングランドの実権をにぎり、1265年には従来の聖職者・貴族の集会に州騎士および都市市民の代表を加えた議会を招集することになります。

 

これゆえにモンフォールはイングランドの議会制度の基礎を築き上げた人物として有名となり、現在でもイギリスでは不当な権力に対して反抗する不屈の闘士として、英雄視されています。

 

しかし、貴族の一部がモンフォールに権力が集中することを恐れはじめ、

それが次代のエドワード1世(当時は皇太子)との結託を招き、今度は彼らがモンフォールに対して反乱を起こします。

 

この戦いでモンフォールは反撃を受けて、戦死します。

 

むかちん