むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記370 ちょっとお笑いになっちゃう歴史人物列伝⑤ 元祖肉食系男子にして、自分でプロテスタント作っちゃった国王~ヘンリ8世

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日はちょっとお笑いになっちゃう歴史人物列伝の第5弾!

 

元祖肉食系男子にして、自分でプロテスタント作っちゃったイギリス国王

 

ヘンリ8世(1491-1547)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC8%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)

 

◆ヘンリ8世は1491年、イギリスのロンドンで、ヘンリ7世とエリザベス王妃の次男として誕生します。

 

1493年、ヘンリ8世はまだ幼少でありましたが、ドーヴァー城主に任命されます。

彼は一流の教育を受け、ラテン語とフランス語が堪能でした。

 

 

兄嫁と結婚

ヘンリ8世の兄、アーサーは1501年に15歳という若さで早世してしまいます。

アーサーにはキャサリン・オブ・アラゴンという政略結婚によってできた妻がおりました。

 

このキャサリン・オブ・アラゴンはスペインのカスティーリャ女王イサベル1世アラゴン王フェルナンド2世の末子。

 

本来であれば、アーサーとの間に子どももいなかったので、スペインに帰されるのが筋ではありましたが、アーサーやヘンリ8世の父、ヘンリ7世はストレートに言ってしまうととてもケチでしたので、

 

莫大な持参金を持ってきたキャサリンをやすやす帰すなどしなかったのです。

 

そして、アーサーの死後、ヘンリ8世はキャサリンと婚約させられます。

これは、イングランドとスペインの良好関係を維持するために決められました。

 

そんな中、1509年に父ヘンリ7世が亡くなり、ヘンリ8世が王位に即位すると、その2か月後にキャサリンと結婚式を挙げました。

 

経緯はともかくとして、知的で上品なキャサリンは若くて精力的なヘンリ8世には適した王妃であったと言えたでしょう。

 

しかしこの結婚に至るにも問題はありました。

なんせ、キャサリンはヘンリ8世からすれば、元は兄嫁です。

カトリックは近親での結婚を禁止していました。

 

ですが、教皇庁はこれを認めます。

これには思惑がありました。

教皇庁は当時、フランス王と対立しており、フランス王の宿敵といえば、イングランド王。

敵の敵は味方、という発想で教皇庁イングランドに貸しを作っておこうと考えたのです。

 

こうして結婚したヘンリ8世とキャサリンでしたが、

仲睦まじい期間もそう長くはつづきませんでした。

 

王妃は後継となる男子を産むことを求められましたが、キャサリンは死産・流産を何度かし、生まれてもわずか数か月で亡くなってしまうなど、なかなか跡継ぎにならなかったからです。

 

結局2人の間の子どもで健康に育ったのは、王女メアリ(のちのメアリ1世)だけでした。

 

元祖泥沼離婚と逆ギレして国教会を作る

跡継ぎが生まれない中、ヘンリ8世はキャサリンの侍女、アン・ブーリンに夢中になります。

アン・ブーリンは容姿に恵まれていたわけではなかったそうですが、

機転の利いた知的な美女だったそうです。

 

このアン・ブーリンがなかなか難航不落で、結婚を要求、

つまりヘンリ8世はキャサリンと離婚しなくてはいけなくなりました。

 

今でこそ、もろもろの問題はあるにしても、紙一枚でできてしまう離婚ですが

カトリックの教義では離婚は禁止されていました。

従い、これによって、教皇クレメンス7世と対立することになります。

 

そこで、ヘンリ8世が使った荒業こそ、「カトリックからの離脱」でした。

当時はルターを皮切りに宗教改革がヨーロッパ中で巻き起こっていた時代です。

 

ヘンリ8世は宗教改革の名の下に「イギリス国教会」を作り、自らを首長としました。

離婚に反対したトマス・モアなどは処刑されました。

 

もともとヘンリ8世は敬虔なカトリック信者で、ルターが宗教改革を始めたときも批判的でした。

1521年に教皇レオ10世から「信仰の擁護者」と言われるほどでした。

 

しかし、もはや教義ありきではなく、身勝手な改革ありきだったのです。

 

 

ヘンリ8世はトータルで6人の妻をめとる

アン・ブーリンと結婚しますが、結局男子は死産し、生まれたのは、歴史上でも有名なエリザベス1世です。

 

そしてこの気性の激しいアン・ブーリンをヘンリ8世は処刑してしまうのです。

 

次に結婚したのが「ジェーン・シーモア」。

彼女は待望の男子、エドワードを産みますが、産後すぐに亡くなります。

 

その後、アン・オブ・クリーヴス、キャサリン・ハワード、キャサリン・パーと

計6人の妻を持ったヘンリ8世。

 

晩年は著しく肥満し、どんどん気難しくなったようですが、

最後の妻、キャサリン・パーは非常に聡明で、娘のメアリやエリザベスをきちんと立てる存在でした。

 

そして1547年、ヘンリ8世は亡くなります。

世継ぎはジェーン・シーモアが生んだエドワード6世ですが、

このエドワード6世も15歳で逝去してしまうため、そのあとに王位につくのが

「ブラッディ・メアリ」で有名なメアリ1世です。

 

むかちん