むかちん歴史日記369 ちょっとお笑いになっちゃう歴史人物列伝④ 幼くして不慮の事故?で早世した~四条天皇
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はちょっとお笑いになっちゃう歴史人物列伝の第4弾!!
幼くして不慮の事故???で早世してしまった
四条天皇(1231-1242)
を紹介します。
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%9D%A1%E5%A4%A9%E7%9A%87
◆四条天皇は1231年に一条室町邸で誕生します。同年10月には後堀河天皇の皇太子となります。
この生まれたてにして皇太子になってしまう背景には、この後堀河天皇の血筋がいつも皇統断絶と隣り合わせにあったことを意味します。
参照元 https://manareki.com/sijo_emp
上図は皇統の図です。
今回紹介する四条天皇は左下のほうにいる87代天皇に当たるわけですが、
80代の高倉天皇から3つに分派したところから始まります。
81代の安徳天皇の系譜は、そもそも安徳天皇が平家に担ぎ出された天皇であり
祖父は平清盛でした。
平清盛が後白河上皇を幽閉している間に、強引に即位させた天皇でした。
従い、清盛が亡くなり、壇之浦で平家が源氏に敗れると、わずか6歳で入水自殺による崩御を遂げます。
82代の後鳥羽天皇の系譜は、この流れでいくと順調に天皇の家督を継いでいく系譜になるはずだったのですが、
1221年に後鳥羽上皇は承久の乱を起こして、源氏に反旗を翻し、挙句に島流しにされてしまうということになってしまうので、この系統は源氏からしたらNGとなってしまうわけです。
そして、最終的には守貞親王の系譜にお鉢が回ってくるわけでして、守貞親王の息子で四条天皇の父、後堀河天皇が即位するわけです。
四条天皇が即位した際、幼少であったため、この後堀河上皇が院政を敷いて、政治を担いましたが、1234年に崩御してしまいます。
この系譜は守貞親王44歳、後堀河上皇が23歳で亡くなっており、非常にみな若くして早世されてしまいました。
後堀河上皇には他に皇子もいなかったので、四条天皇に成長してもらい、正妻に男子を産んでもらうというのを期待されていたのですが、
ここで悲劇が起きてしまうのです。
そのいたずらごごろで廊下に滑り石というのをばらまいて女房たちを転ばせて遊んでやろうと考えていました。
ここで事件が・・・・
なんと四条天皇自らがこの滑り石で滑って転んでしまい、頭を打ってそのまま崩御・・。
享年12歳でした。
この四条天皇の崩御によって、守貞親王の血筋が絶え、鎌倉幕府と朝廷の間で後継者の論争が激しく巻き起こることになるのです。
まさか廊下で滑って転んでそのまま崩御となってしまうなんて誰も想像していないので・・・。
あまりにみんな若くして亡くなるので、後鳥羽上皇の怨霊によるものではないかと噂されました。
真相は定かではありませんが800年経過した今でも語り継がれるとは
四条天皇も想像していなかったでしょうね。。。。
むかちん