むかちん歴史日記346 旅行でみかける歴史的建造物にまつわる人のヒストリー日本編① 奈良の大仏を建立した~聖武天皇
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は旅行でみかける歴史的建造物にまつわる人のヒストリー日本編の第一弾!!
修学旅行でみんな行く奈良の大仏を建立した
聖武天皇(701-756)
を紹介します(*^▽^*)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
母親は藤原不比等の娘、宮子です。
7歳のときに文武天皇が崩御し、母が心的障害い陥ると、その後聖武天皇と母親が会うことは長くなく、再開するのは37歳になるころでした。
文武天皇の崩御後は中継ぎとして、文武天皇の母で天智天皇の娘である元明天皇が即位します。
しかし、聖武天皇自身は病弱であったことと、当時の政治的背景として、皇族勢力と外戚である藤原氏との対立によって、天皇への即位は先延ばしにされ、
中継ぎの中継ぎとして文武天皇の姉である元正天皇が即位します。
聖武天皇は24歳のときに元正天皇より譲位され、天皇として即位します。
聖武天皇の治世の初期は皇親勢力を代表する長屋王が政権を担当しており、
当時は、皇后が中継ぎの天皇に即位する可能性もあったことから慣例として
皇族から出すこととなっていましたので、長屋王は藤原氏の意向には反対します。
しかし729年に不比等の子どもである藤原四兄弟の陰謀といわれる、長屋王の変が起き、
長屋王が自害すると、藤原家の光明子が光明皇后として立后します。
737年、疫病が発生し、藤原四兄弟を含む多くの政府高官が亡くなるという惨事に見舞われ、そこから約10年ほどはめまぐるしく遷都します。
この理由は定かではないですが、遷都している期間中には乱や天災、疫病が起こっていることと関連しているのでは、と考えられています。
災害や天然痘などの疫病が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、
741年には国分寺建立の詔、743年に東大寺盧舎那仏像建立の詔を出します。
https://www.jalan.net/kankou/spt_38202ag2130014066/kuchikomi/0001050431/
また遷都に対する反発も強かったため、都も平城京に復帰します。
そして749年、聖武天皇は娘の阿部内親王(孝謙天皇)に譲位します。
男性の天皇が譲位して太上天皇になるのは、聖武天皇が初めてのことでした。
752年、東大寺大仏の開眼法要を行い、754年には唐僧の鑑真が来日して、会います。
むかちん