むかちん歴史日記345 お笑い・映画・ドラマで活躍した名優たち⑤ 若くして生涯を閉じた名優~松田優作
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はお笑い・映画・ドラマで活躍した名優たちシリーズの第5弾!!
『太陽にほえろ』などで人気を博した名優
松田優作(1949-1989)
を紹介します。
http://www.office-saku.com/artists/yusaku_matsuda.html
◆松田優作は1949年、山口県下関市で生まれ、日本人の父と韓国人の母の間に生まれた非嫡出子でした。
2人の異父兄がおり、兄弟仲はよかったようなのですが、次第に自身の出生について知るようになり、孤独感を感じるようになります。
1967年、母親からアメリカへ行って弁護士になるように厳命され、しぶしぶ高校を2年で中退し、叔母夫婦を頼って、米国籍を取得するために渡米します。
カリフォルニア州のシーサイド高校に入学しますが、叔母夫婦の離婚訴訟や言葉のギャップに悩み、1968年、母には無断で帰国。
長兄一家を頼って、東京都豊島区に居候し、1970年に関東学院大学文学部に入ります。
1972年、文学座付属演技研究所12期生となり、一期先輩に桃井かおり、一期後輩に中村雅俊がいました。
これより少し前の1969年、松田は新宿のトリスバーでバイトをしていましたが、
このときに客として来ていた村野武範と交友しており、これがきっかけで村野と麻雀をし、松田が勝ったことで、村野からプロデューサーの岡田晋吉を紹介されます。
岡田は松田に試しにチョイ役をやらせてみるとその迫真の演技に驚き、これがきっかけで1973年に『太陽にほえろ』で松田はジーパン刑事を演じることになるのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/jyoudankeri/diary/200908090000/
1976年、暴力事件を起こし、一時活動自粛しますが、復帰し、
1977年『大都会 PARTⅢ』、1979年『探偵物語』などに出演します。
1986年、映画『ア・ホーマンス』製作途中で監督と意見が食い違い、監督が途中降板をすると、自らがメガホンを取り撮影を続行。初監督作品となりました。
1988年、深作欣二監督の『華の乱』を吉永小百合とともに主演として撮影した際にはすでに膀胱に違和感があり、自身が癌であることを知るが、撮影関係者で知っていたのは安岡力也のみで、他の関係者には一切明かさなかったと言います。
延命治療も拒みました。
1989年、松田は膀胱がんの腰部への転移により死去。40歳でした。
弟分として可愛がられていた仲村トオルは優作の遺体の前で泣き叫びました。
むかちん