むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記236 歴史に影響を残した女性を巡る旅行シリーズ① 歴史上初めての女性天皇〜推古天皇

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*´∀`*)

 

今日は歴史に影響を残した女性を巡る旅行シリーズの第一弾!

 

歴史上、初めての女性天皇

 

推古天皇(554-628)

 

を紹介します♬

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E5%8F%A4%E5%A4%A9%E7%9A%87

 

推古天皇は、第29代欽明天皇の皇女として誕生し、叔父に蘇我馬子などがおりました。

 

第30代の敏達天皇は異母兄でありましたが、のちに夫婦となり、

2男5女を儲けます。

 

585年、敏達天皇崩御。第31代に用明天皇が二年ほど皇位にありましたが、587年に崩御します。

その後、穴穂部皇子を推す物部守屋と泊瀬部皇子を支持する蘇我馬子が戦い、蘇我氏の勝利に終わると、泊瀬部皇子は崇峻天皇として即位します。

 

しかし592年崇峻天皇蘇我馬子の指図によって殺されてしまうと、

先々代の皇后であった額田部皇女が、馬子に請われ、即位し、第33代の推古天皇となります。

推古天皇は時に39才であり、そして史上初の女性天皇となりました。

 

推古天皇は甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として置きました。

 

推古天皇は非常に頭脳明晰だったと言われ、

皇太子である厩戸皇子と大臣である蘇我馬子との間で巧みに勢力の均衡を保ち、

豪族の反感を買わないようにしていたと言われています。

 

馬子に対しても決して譲歩することなく、馬子が領地を要求してきたことに対しても

「あなたは私の叔父ではあるが、だからといって、公の土地を私人に譲ってしまっては、後世から愚かな女と評され、あなたもまた不忠だと謗られよう」

 

と諭したと言われています。

 

聖徳太子はこの公正な天皇の下で遺憾無く才を発揮し、

冠位十二階や十七条の憲法などを次々に制定し、法令・組織の整備を進めます。

 

また、推古天皇小野妹子を遣隋使として隋に派遣します。

以前にも中国に使節を送っていたが、日本が独立国家であることを示すという目的で

派遣するのはこの推古天皇の時代からでした。

 

また推古天皇は仏教の興隆に努め、馬子や聖徳太子と共に

斑鳩法隆寺の建立を行いました。

 

聖徳太子と馬子は『天皇記』『国記』を編纂し、推古天皇に献上します。

 

推古天皇は628年、崩御します。75才。

推古天皇大は阪府南河内郡太子町大字山田にある磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)に治定されています。

 

尚、推古天皇は後継者の指名は避けたようである。

 

むかちん