むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記235 絶大な力を振るったトップリーダーを巡る旅行⑤ アメリカを独立へと導いた初代大統領~ジョージ・ワシントン

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、アメリカを独立へ導いた合衆国初代大統領

 

ジョージ・ワシントン(1732-1799)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3

 

◆ワシントンは1732年、ヴァージニア州で黒人奴隷プランテーションを営む家庭に誕生します。

 

父はワシントンが11歳のときに他界し、14歳年上の長兄が彼の父親代わりを務めます。

長兄が父の遺産の大半を受け継ぎますが、ワシントンもフェリーファームという農園を引き継ぎます。

 

ワシントンは測量も学び、また1748年からは農園主としての経験も積み始め、

測量士として公的な役職にも就きます。

この資金を元に新たに農園を購入し、これがバージニア西部における資産拡張の始まりといわれています。

このころにヴァージニアの副総督にして、実質的な統括者であったロバート・ディンウィディと知り合います。

 

1754年、ワシントンはヴァージニア市民軍の大佐に任命され、オハイオ渓谷からフランス軍を排除するためにヴァージニア西部に砦を構築します。

 

当時のアメリカは主にイギリスとフランスが植民地をめぐって覇権争いをしており

ワシントンは一族がイギリスの家系でもあったことからイギリス側におりました。

 

このときワシントンはフランス軍の兵力の前に敗れ去り、交渉によってなんとかヴァージニアへ帰還しました。

 

1755年、イギリス対フランスの植民地争いであるフレンチ・インディアン戦争で、ワシントンはイギリス軍のオハイオ奪還に従軍します。

 

1758年、軍を退役、そこからはヴァージニアの農園主、および政治家として過ごします。

 

ワシントンは裕福な未亡人であるマーサと結婚し、彼はその社会的地位の向上に成功します。

またフレンチ・インディアン戦争の英雄として、さらには奴隷を100人以上所有する大土地所有者として、尊敬されるようになります。

 

1769年、タウンゼント諸法という一連の法律がイギリス帝国議会で決められると

アメリカ植民地はこれに反発、ワシントンはその指導的役割を果たします。

 

そもそもこのタウンゼント諸法はアメリカ植民地に対して、不合理な税金を課すような法律でした。

これは1770年に撤廃されたが、1774年、いわゆる「耐え難き諸法」と呼ばれる一連の法律がイギリス帝国議会で成立し、アメリカ植民地をさらに刺激します。

 

この法律はその前年のボストン茶会事件に対する締め付けでもありました。

この事件はイギリスの植民地政策に不満を持つ植民地の急進派がイギリスの貿易船に密航し、海に紅茶箱を投棄するという事件です。

 

このときに出た有名なセリフが「代表なくして課税なし」で、

当時、植民地は税を課せられているにも関わらず、イギリスの議会に代表を立てる権利がなかったのです。

逆に言えば、このころはまだ独立をしようと企図していたわけではありませんでした。

 

1775年、レキシントン・コンコードの戦いが勃発。

アメリカ独立戦争の火ぶたが切って落とされました。

 

ワシントンは大陸会議によって、植民地軍総司令官に任命されました。

 

途中で弾薬が足りなくなったため、フランスが植民地側を支援しました。

これには世界で起こっている英仏の覇権争いが背景にあり、植民地軍がイギリスに勝つことをフランスは望んでいたと言えます。

 

1776年、戦いの最中、アメリカは独立宣言をし、アメリカ合衆国としてイギリスと戦います。

1781年、フランス軍と協力して罠をはりイギリス軍を遂に降伏させます。

1783年、パリ条約によって、イギリスはアメリカの独立を承認するのです✨

 

1789年、アメリカで最初の大統領選挙が行われ、ワシントンは初代アメリカ合衆国大統領に就任します。

 

ワシントンは「無私の公僕」というイメージを大事にしたため、

合衆国からの俸給は拒否していましたが、結局、議会も強固に受け取りを主張したため、受け取らざるをえませんでした。

 

しかし、ワシントンは決してヨーロッパ宮廷のような華美なことはせずに

共和制者として適切であるように慎重に作法を重んじ、丁寧であったといわれています。

 

1796年、公式文書として「ジョージ・ワシントンの辞任挨拶」を発行し、

これはアメリカの政治的価値観に強い影響を与えます。

 

1797年大統領を辞任したのち、1799年、死去。67歳でした。

 

◆名言

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約束を守ることを、常に頭に置いておきなさい

 

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議論するときは、相手に言いたいことを言わせずにやり込めようとしてはいけない

 

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人間の体は一晩くらい寝なくても決してまいるものではない

 

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我々の進むべき道は、勇敢な抵抗か、卑屈な服従

 

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中傷の最高の返答は、黙々と義務を遂行することである

 

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正直は、常に最上の政策である

 

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常に継続してやっていれば、素晴らしいことが出来るようになる

 

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真の友情はゆっくり成長する植物である。友情と呼ぶにふさわしいところまで成長するには、度重なる危機にも耐え抜かねばならない

 

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むかちん