むかちん歴史日記307 世界の独立指導者をめぐる旅行シリーズ② アメリカ独立宣言の主要な作者~トマス・ジェファソン
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、世界の独立指導者をめぐる旅行シリーズの第二弾!!
アメリカ独立宣言の主要な作者、
トマス・ジェファソン(1743-1826)
を紹介します。
◆トマス・ジェファソンは1743年、ヴァージニア植民地の古くからの入植者の家系に生まれます。
1752年、ジェファソンはスコットランド人牧師の経営する地元の学校に通い始め、ラテン語、古代ギリシア語、フランス語を学びます。
1757年彼が14歳のときに父が亡くなり、約5000エーカーの領地と数十人の奴隷の領主となりました。
1760年、16歳でウィリアムスバーグにある、名門ウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、
大学教育を2年間受け、1762年に優等賞を受けて卒業します。
ジェファソンは非常に勉強熱心な学生であったといわれ、
ジョン・ロック、フランシス・ベーコン、アイザック・ニュートンについては「世界が生んだ中でも最も偉大な3人」と称えました。
1日15時間勉強していたともいわれ、フランス語も極めて、バイオリン演奏も好みました。
卒業後は法律を勉強して、1767年にヴァージニア法廷弁護士となります。
1769年、アルベマール郡選出のバージニア植民地議会議員となり、1774年に、英国議会で「耐え難き諸法」が成立すると
それに反対する決議文を書き、
『イギリス領アメリカの権利に関する要約』の出版に結実します。
ジェファソンの主張は革命を意図するものではなかったが、
アメリカ独立の理論的枠組みを作るのに大きく貢献したといわれ、
彼は最も思慮深い愛国的代弁者として、注目を浴びます。
アメリカ独立戦争が始まった1775年、ジェファソンは第二次大陸会議のヴァージニア代表議員の一人となり、1776年には独立決議案の初稿執筆者に選任されます。
この草稿が最終的な修正を経て、アメリカ独立宣言が承諾され、結果として、ジェファソンの名声を大きく上げることになります。
ヴァージニア邦知事、駐フランス公使を務めたのち、1790年からは
初代大統領ワシントンの下で初代国務長官を務めます。
1796年の大統領選では敗れたものの1800年の大統領選でジェファソンは合衆国第三代大統領に選出されます。
ジェファソン政権は1803年、ルイジアナをフランスから1500万ドルで購入、これは現在のアメリカ合衆国領土の23%を占める広大な領地でした。
1826年、アメリカ独立宣言の採択から50周年の記念日にバージニア州で亡くなります。83歳でした。
◆名言
ーーーーーーーーーー
一生懸命やればやるほど、
幸運に恵まれることを、
私は発見した。
ーーーーーーーーーー
ついに起こらなかった
害悪のために、
われわれはいかに多くの
時間を費やしたことか。
ーーーーーーーーーー
腹が立ったら、
十まで数えなさい。
それでもおさまらないなら
百まで数えなさい。
それでもダメなら
千まで数えなさい。
ーーーーーーーーーー
過去に何があったかよりも、
未来に何があるかということに
私は興味がある。
ーーーーーーーーーー
自身の信念だけは、
岩のように
微動だにしてはいけない。
しかし、それ以外の事は、
譲ってしまえばいい。
ーーーーーーーーーー
むかちん