むかちん歴史日記261 近現代世界の首脳たちを巡る旅行シリーズ① いまだに根強い支持を誇る大統領〜フランクリン・ルーズヴェルト
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*´∀`*)
今日は
近現代世界の首脳たちを巡る旅行シリーズの第一弾!!!
フランクリン・ルーズヴェルト(1882-1945)
を紹介します😊😊
◆フランクリン・ルーズヴェルトは1882年、ニューヨーク州北部で誕生します。
父親は鉄道会社の副社長であり、裕福な地主の家庭でした。
1904年にハーバード大学、1908年コロンビア大学のロースクールを卒業します。
1905年セオドア・ルーズヴェルト(大統領)の姪と結婚、6人の子供を授かります。
1910年、ルーズヴェルトは民主党のニューヨーク州議会議員に当選、1911年就任します。
1913年、ウィルソン大統領によって、海軍次官に任命され、
海軍の拡張のために尽力します。
1928年ニューヨーク州知事に当選、改革派知事として新しい社会計画などを構想します。
1932年、ルーズヴェルトは大統領選に出馬、現職の共和党、フーヴァー大統領の無駄遣いを徹底的に批判し、緊縮財政を主張して、ルーズヴェルトは大統領選に勝利、
1933年アメリカ合衆国第32代大統領に就任します。
1929年以来の世界恐慌での最悪の景気環境に何も施せずに終わった共和党のフーヴァー大統領から一転し、ルーズヴェルトは「ニューディール政策」と呼ばれる政府による公共事業などの積極的な経済への介入を行い、失業者対策も行うなど、ケインズ主義的な政策を行いました。
また労働者の地位向上や、社会保障の充実などの政策も講じました。
また1941年12月の第二次世界大戦への参戦によって、史上最大の軍拡、軍需経済、戦時経済の著しい増大によってアメリカ経済は回復し、失業者も減りました。
さらにルーズヴェルトはメディアを巧みに利用した大統領としても知られていて、
ラジオ放送を通じて演説し、直接国民に訴えるスタイルを重視していました。
1941年12月7日、日本軍の真珠湾攻撃により、太平洋戦争が勃発、アメリカは日本に宣戦布告します。
1944年、日本の降伏を早めるために、ルーズヴェルトはソ連のスターリンに対日参戦を提案します。
ルーズヴェルトは千島列島をソ連に引き渡すのを条件に、日ソ中立条約の一方的な破棄を促しました。
しかし1945年4月、勝利を目前にして、ルーズヴェルトは脳卒中で逝去します。
後任は副大統領のトルーマンが昇格し、原爆の投下、終戦へと続くのです。
◆名言
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運命に人は縛られるのではない。ただ自分の心に縛られているだけなのだ。
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行動を起こし、今をつかめ。人は貝になるために創られたのではない。
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軽い荷物にしてほしいと願ってはいけない。強い背中にしてほしいと願わなくてはならない。
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私が自分だけのために働いているときには、自分だけしか私のために働かなかった。しかし、わたしが人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれたのだ。
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むかちん