むかちん歴史日記306 世界の独立指導者をめぐる旅行シリーズ① オランダ独立の指導者~ウィレム1世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は世界の独立指導者をめぐる旅行シリーズの第一弾!
オランダ(ネーデルラント)の独立を指導した
ウィレム1世(1533-1584)
を紹介します。
◆ウィレム1世は1533年、ドイツ中西部で誕生します。
彼は11歳のときに、従兄のルネ・ド・シャロンがネーデルラント17州の君主であった、神聖ローマ帝国皇帝のカール5世に従ってイタリア戦争で命を落とすと、
その相続人となって、ネーデルラントの所領と南フランスのオラニエ公国を相続して、オラニエ公ウィレム1世となります。
ただ、ウィレム1世からすると突然、ドイツ小領主の嫡男から大貴族の当主となったため、
父の下を離れて、ネーデルラントへ送られ、カール5世らによって大貴族となるにふさわしい教育を施されることになります。
カール5世が1556年、息子のフェリペ2世(スペイン王も兼任)に譲位すると、
彼は非常に熱心なカトリック信者で、カトリックによる国家統合を理想として弾圧を加えたことから
プロテスタント勢力の強いネーデルラントで反カトリック勢力の暴動が起きます。
ウィレム1世はドイツに逃れていたため、生き延びたが、ネーデルラントの多くの有力貴族が事態収拾のために処刑されました。
1568年、軍勢を率いてオランダ北部からウィレム1世は侵攻しますが、失敗に終わります。
ここからオランダの独立をめぐるいわゆる八十年戦争へ突入していきます。
軍勢を整えて再起を図ったウィレムですが、スペイン軍に敗北、今度はフランスに逃れてユグノー(フランスのカルヴァン派)に合流します。
徐々に港湾都市を制圧していくと、
ウィレム1世は1572年、ホラント州、ゼーラント州の総督に就任し、スペインの迫害を受けていた多くのプロテスタント信者が流入してきます。
1579年、ユトレヒト同盟を結成して、反スペイン陣営を結集します。
実質的なオランダ独立へとシフトしていきます。
しかし、スペインとの戦争は継続しつづけ、
そのさなか、ウィレム1世はカトリック勢力の刺客により暗殺されます。
そのときに「神よ、わが魂と愚か者たちにお慈悲を」との言葉を残して倒れたといわれています。
ここからオランダ独立までには1637年までかかりました。長いスペインとの戦争が続くのです。
むかちん