むかちん歴史日記308 世界の独立指導者をめぐる旅行シリーズ③ ハイチ独立の指導者〜トュサン・ルーヴェルチュール
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧∀≦)
今日は世界の独立指導者をめぐる旅行シリーズの第3弾!!
ハイチ独立の黒人指導者
トュサン・ルーヴェルチュール(?-1803)
を紹介します(〃^∇^)o_彡☆
◆トュサン・ルーヴェルチュールは1739年から1743年の間にハイチで生まれました。
彼の父祖は祖父の代までは西アフリカのダホメ王国(現在のベナンに当たる)のアラダの首長でしたが、
父は捕らえられ、奴隷としてハイチに売られ、トュサンはその地で誕生します。
農園の管理者は幸いなことに比較的人間的な人物で、トュサンに読み書きを学ぶことを勧め、フランス語の基礎とラテン語を学びます。
また、父からは薬草の知識などを学んでいたため、トュサンの教育的水準は比較的高く、奴隷の中では比較的裕福な部類でした。
彼は熱心なカトリックの信者であり、質素で菜食主義者であり、結婚して11人の子どもを授かりました。
当時、このハイチはフランスの植民地下にあり、
1789年、フランス革命が勃発すると、1790年にハイチにも「自由・平等・博愛」のメッセージが届けられますが、プランテーション経営者はこのメッセージの効力を否定しました。
それにより、各地の農園で反乱が勃発、しかし、トュサンは当初、この動乱には加わりませんでした。そしてこの動乱は次々と弾圧されていきます。
反乱が拡大し、白人が奴隷たちに狙われるようになると、トュサンは彼の領主を逃し、自らは、反乱軍の中に入っていき、白人の自由主義者とは妥結するよう主張します。
そして逆に彼が、こうした黒人の反乱軍の指揮をとるようになっていきます。
フランス革命が拡大し、1793年にはフランスとスペインが戦争状態に陥ると、
黒人司令官たちはスペインを支持します。
そしてハイチでも熱病で疲弊するフランス軍に対し、反乱軍は次々と勝利を収めていきます。
1794年、フランス革命で成立したフランスのジャコバン派国民公会はフランス全領土の奴隷制の廃止を決めました。
一方で共にフランスと戦っていたイギリスやスペインは奴隷制の廃止までを認めることはなかったため、
トュサンはフランスに寝返ることを決めます。
トュサンは黒人たちから尊敬を集める人物となっていました。
そして彼が特徴的なのはプランテーション経営者をハイチに戻したことです。
彼は人間というものは自然に生きると怠惰である、ということを知っていました。
ある程度の強制も必要である、と悟っていたのです。
しかし、以前のように鞭打たれることはなく、法的には平等に扱われます。
さらにトュサンはスペイン領、サン=ドミンゴに転じ、奴隷を解放します。
そして、植民地独自の憲法を起草し、全イスパニョーラ島に自らの権限を打ち立てました。
彼は「黒いナポレオン」と呼ばれるようになります。
しかし、フランスのナポレオンの軍はトュサンを捕縛し、彼と彼の家族をフランスへ送ります。
彼はフランスの地で1803年に亡くなります。
むかちん