むかちん歴史日記367 ちょっとお笑いになっちゃう歴史人物列伝② 酷評され、死後は悪霊になった~藤原顕光
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、ちょっとお笑いになっちゃう歴史人物列伝の第二弾!!
左大臣にまで上り詰めるが、死後は悪霊になったと言われる
藤原顕光(944-1021)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E9%9C%8A%E5%A4%A7%E8%87%A3-%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%A1%95%E5%85%89-%E5%8F%8C%E8%91%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%BC%E2%80%95%E4%BA%AC%E3%81%AE%E5%BD%B1%E6%B3%95%E5%B8%AB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E8%97%A4%E5%B7%9D-%E6%A1%82%E4%BB%8B/dp/4575005304
◆藤原顕光は944年に誕生します。
祖父の師輔の系譜は天皇との血縁関係を強く結び、師輔の娘である中宮安子が産んだ冷泉天皇、円融天皇が相次いで即位、政界の主導権を握ります。
師輔の長男、伊尹が970年に摂政となりますが2年後に亡くなってしまうと、
顕光の父であり、師輔の次男である兼通と三男である兼家が後継者を争いを繰り広げた結果、兼通が関白となります。
父である兼通が関白となると、顕光も引き上げられ、977年には権中納言となります。
しかし父である兼通が亡くなり、権力がその弟の兼家に移行すると、
顕光の出世は止まり、兼家の息子である道隆、道兼、道長らに昇進で追い越されるようになります。
兼家が死去すると道隆が関白になりますが、道隆も大酒が元で病死、その弟の道兼も病で倒れると、左大臣道長、右大臣に空席ができたので顕光となりますが、
実権は道長が持っていました。
なぜならかねてから顕光は無能で知られていたからです。
藤原実資は日記に「出仕以来、万人に嘲笑され通しだ」と顕光を酷評しており、
「失敗をいちいち書いていたら筆が擦り切れる」とまで言われ、
道長には「愚の骨頂」と評されるほど、政務能力に難ありだったそうです。
また顕光の娘、元子は一条天皇の女御として入内し、懐妊したとして、大騒ぎするが、実は想像妊娠であったという事態で、2人は世の笑いものとなりました。
娘・延子が次期天皇になる東宮、敦成親王の妻となり、子も授かります。
顕光にも外戚となるチャンスがあったのですが、
なんと、親王は東宮の地位を辞退して、こともあろうに、延子と息子を捨てて、
道長の娘、寛子の下へ行ってしまうのです。
夫を奪われた延子は絶望のあまり病死。
顕光はこの事件で一夜にして白髪になったと言われています。
そして1021年に78歳で死去。
顕光の死後、親王を奪った寛子が病死、道長の娘がその後も次々と亡くなっていきます。これは顕光と延子の呪いと言われました。
むかちん