むかちん歴史日記489 平和のために尽くした著名人たち④ 多様な才能を発揮しながら平和を表現し続けた直木賞作家~野坂昭如
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は平和のために尽くした著名人たちシリーズの第4弾!!!
多方面でその才能を発揮しながら、反戦平和を表現し続けてきた直木賞作家
野坂昭如(1930-2015)
を紹介します。
参照元 https://www.shinchosha.co.jp/writer/2451/
◆野坂昭如は1930年に神奈川県鎌倉市で誕生、父はのちに新潟県の副知事も務めます。
実母が野坂を産んですぐになくなり、野坂は生後半年で養子に出され、物心ついたころには神戸で暮らしていました。
妹が2人おりましたが、2人とも養子として入ってきており
のちに上の妹は病気で、養父は1945年の神戸大空襲で、下の妹は疎開先の福井にて栄養失調でそれぞれ亡くなり、のちに福井県で妹を亡くした経験から『火垂るの墓』を記しました。
その後、実父に引き取られて新潟へ行きますが、1950年にシャンソン歌手を目指して早稲田大学第一文学部仏文科に入り、上京します。
1957年、放送作家としてコントを量産していき、いずみたくと組んでCMソング作詞家としても活躍、「おもちゃのチャチャチャ」の第5回日本レコード大賞童謡賞の受賞します。
1963年には『エロ事師たち』で作家デビューし、1967年には『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞。社会評論も多数執筆するようになり、「焼跡闇市派」を名乗って、その体験から右翼、左翼をそれぞれ批判していきます。
参照元 https://books.rakuten.co.jp/rb/4082380/
戦争で妹を亡くした贖罪意識から常に戦争と正面から向かい続け、「自分は戦争体験を伝える最後の世代」として反戦の活動をつづけました
作家としては、、1985年『我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ』で講談社エッセイ賞受賞、1997年に『同心円』で吉川英治文学賞受賞、2002年に『文壇』およびそれに至る文業で泉鏡花文学賞を受賞します。
歌手・作詞家・タレントなど幅広い分野で活動し、1983年には参議院議員に当選。
晩年の2003年には脳梗塞で倒れたことによるリハビリを継続しながら、執筆活動を行います。
2015年、自宅で意識がない状態なのを発見され、病院へ搬送されますが、心不全のため、死去します。85歳でした。
むかちん