むかちん歴史日記490 平和のために尽くした著名人⑤ 戦争・平和を題材にした作品を多数生み出した漫画家~中沢啓治
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は平和のために尽くした著名人、第5弾!!!
戦争・平和を題材に数多くの作品を世に生み出した漫画家
中沢啓治(1939-2012)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://hiroshimakfj.typepad.jp/blog/2010/07/%E5%87%BA%E6%BC%94%E8%80%85%E6%83%85%E5%A0%B1%E4%B8%AD%E6%B2%A2%E5%95%93%E6%B2%BB.html
◆中沢啓治は1939年に代々漆塗りを生業としていた家庭に4男一女の4番目として、広島県に誕生します。
父親は日本画家、蒔絵師であり、反戦主義者であったため、特高警察に捕まり、拷問を受けました。
1945年、国民学校1年のときに広島で被爆、偶然にも友達の母親に呼び止められて、建物の塀の影に入ったため、熱線を浴びずにすみ、九死に一生を得ましたが、この原爆で父、姉、末弟の3人の家族を失い、原爆投下当日に誕生した妹も4か月半で他界します。
終戦後、手塚治虫の『新宝島』を読んで感動して、漫画を描き始めます。
中学卒業後は看板屋に就職、夜は漫画の執筆に励みます。
編集者に紹介してもらった漫画家のアシスタントになるために上京し、プロを目指します。
上京したばかりの頃は、当時まだ残っていた原爆被爆者に対する差別の目から、二度と原爆という言葉を口にしまいと思い、漫画も戦争などとは全く無縁なものを描いていましたが、
1966年に母が他界し、火葬をした際に放射能のため、母の骨が灰となって遺骨が一かけらも残らなかったことや、アメリカの調査委員会が母の遺体の解剖を迫ったきたことに憤慨し、漫画の世界で原爆と戦うことを決めます。
初の原爆を題材とした漫画『黒い雨に打たれて』は一年ほど、掲載を各出版社から断られ、1968年になってようやく芳文社で掲載されると、他の編集者、漫画家から好評で、シリーズが描かれるようになります。
1972年、『別冊少年ジャンプ』で各作家が自伝を描くという企画の際、中沢が描いた「おれは見た」が編集長の心をつかみ、長期連載を勧められます。
これが中沢生涯の代表作、『はだしのゲン』で連載当時の人気はさほど高くなかったものの、朝日新聞に1975年に取り上げられると一気に話題となります。
参照元 http://hpmmuseum.jp/modules/exother/index.php?action=PageView&page_id=13
その後掲載誌を変えながらも連載し、1985年に一部完結というかたちで未完のままとなります。
2002年谷本清平和賞受賞。2009年に体調不良を理由に漫画家引退を表明し、かねてより『はだしのゲン』の原稿を寄託していた広島平和記念資料館に現存する全ての漫画原画や『はだしのゲン 第二部』のネームなどを市に寄贈すると報じられました。
2012年、肺がんのため、広島で死去します。73歳でした。
むかちん