むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記484 日本の名映画監督、脚本家④ シナリオライター御三家ともいわれた~向田邦子

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は日本の名映画監督、脚本家シリーズの第4弾!!!

 

テレビドラマ脚本家で直木賞受賞作家でもある

 

向田邦子(1929-1981)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

参照元 https://www.shinchosha.co.jp/writer/2964/

 

向田邦子は1929年、現在の東京都世田谷区に生まれ、父は第一徴兵保険(東邦生命保険。現、ジブラルタ生命保険)で給仕として入社し、そこから幹部社員まで上り詰めて苦労人で、転勤族でもあり、向田も6回の転校をします。

1947年、実践女子専門学校(実践女子大学)国語科に入学、祖父母の家に下宿します。

 

大学卒業後新卒で財政文化社の社長秘書として入社し、1952年雄鶏社「映画ストーリー」編集部に入って記者として働きながら、市川三郎に師事して、脚本を学びます。

 

1959年ごろからラジオドラマの台本を書き始めて、途中からテレビドラマの脚本に転向、1960年には本格的に脚本家への道を進み、雄鶏社を退社します。

 

1962年TBSラジオ「森繁の重役読本」の台本を執筆し、これは7年間続きます。

 

向田は様々なヒットドラマを生み出し、

七人の孫』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などが有名。

 

参照元 https://www.letao.com.tw/yahoojp/auctions/item.php?aID=c738977346

 

向田は1975年に乳がんの手術を受け、後遺症で右腕が動かなくなりながらも、左手でエッセイ『父の詫び状』を連載、1978年に初のエッセイ集として刊行します。

ここからエッセイストとしても活動し、さらには1981年には長編小説『あ・うん』を発表。

 

42歳のときから世界一周旅行を開始。

1981年8月22日、向田を乗せた台北発高雄行き台湾・遠東航ボーイング737型機が突如空中分解し、墜落。

乗客乗員110名、全員死亡するという事故が起き、向田は享年51歳でした。

これが向田にとっては初めての台湾旅行でした。

 

向田の死後、1983年、優れた脚本に贈られる「向田邦子賞」が創設されました。

 

むかちん