むかちん歴史日記312 意味不明を解明してきた学術的偉人達② 天文学の父~ガリレオ・ガリレイ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)
今日は意味不明を解明してきた学術的偉人達シリーズの第二弾!!
科学的手法の開拓者にして天文学の父と呼ばれる
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)
を紹介します(*‘∀‘)
https://wired.jp/2014/03/01/galileo-galilei-15-trivias/
◆ガリレオは1564年にトスカーナ大公国領ピサに誕生します。
1581年、ガリレオはピサ大学に入学しますが、
1585年に退学。
しかしユーグリッドやアルキメデスを学び、1586年には科学論文「小天秤」を発表します。
1589年、ピサ大学教授の地位を得て、数学を教えました。
17世紀前半ごろからガリレオの科学的な発見が行われます。
1609年、ガリレオは望遠鏡を用いて、月に凹凸があることを発見、1610年には木星に3つの衛星があることを発見し、
さらには金星が月のように満ち欠けすることも発見しました。
これは金星が太陽の周りを公転しているという確かな証拠となりました。
ガリレオで有名なのはやはり「地動説」を主張したことです。
地動説に言及したガリレオはドミニコ修道会士ロリー二と論争となり、
ロリーニはローマ教皇庁に対して、ガリレオは異端であると主張します。
そして、ガリレオは宗教裁判にかけられることになります。
第一回裁判の直後の1616年にはコペルニクスの地動説を禁止する布告を出し、彼の『天球の回転について』は一時閲覧禁止となりました。
1630年にはガリレオが地動説の解説書『天文対話』を出版します。
1633年に2回目の裁判が行われますが、
ガリレオは有罪判決を受けます。
その後、「それでも地球は動く」と言っていたといわれています。(真偽は定かではありませんが)
彼の『天文対話』は1822年まで、禁書目録に指定されます。
この裁判には疑問点も多く、19世紀後半から検証も行われました。
しかし、この裁判が誤りであったと認められるのは
1992年、ガリレオが亡くなってから350年の時が経過して
ローマ教皇が謝罪します。
◆名言
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見えないと始まらない。
見ようとしないと始まらない。
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人にものを教えることはできない。
みずから気づく手助けができるだけだ。
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どうして君は
他人の報告を信じるばかりで、
自分の眼で観察したり
見たりしなかったのか。
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むかちん