むかちん歴史日記259 歴史に残る名優をめぐる旅行シリーズ④ 日本映画が誇る名俳優~高倉健
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は歴史に残る名優をめぐる旅行シリーズの第4弾!!!
日本映画が誇る名俳優
高倉健(1931-2014)
を紹介します(*^▽^*)
https://middle-edge.jp/articles/MNzE7
◆高倉健は1931年、父が旧海軍の軍人で炭鉱夫のとりまとめ役、母親は教員という裕福な家庭に生まれます。
終戦を迎えた中学生のときに、アメリカ文化に触れて興味を持ち、ボクシングと英語に打ち込み、その後、貿易商を目指して、明治大学商学部へと進学します。
1955年、大学時代の知人のつてで、当時美空ひばりが所属していた新芸プロのマネージャーとなるために面接を受けるも、居合わせた東映東京撮影所の所長で映画プロデューサー・マキノ光雄にスカウトされ、
採用から1か月半でデビューが決まり、1956年の映画『電光空手打ち』で映画デビュー✨🎥
アクションや刑事もの、喜劇など高倉は幅広く出演し、主演・助演も務め、東映からの期待も大きかったのですが、
思ったように高倉は売れませんでした。
高倉は芝居が硬く、暗い雰囲気だったのもあり、路線変更をしてアクションスターとして、台詞ではなく、立ち姿が映えるようにしていきました。
高倉はこの間、地道に筋トレには励んでいたそうです。
高倉にチャンスが巡ってきたのは1963年に『人生劇場 飛車角』に準主役として抜擢されたときでした。
ここで任侠映画のスターとしての足掛かりをつかみ、さらに1964年には中村錦之助が降板した『日本任侠伝』に主演、好評を博します。
こうして任侠映画を中心に高倉はスターダムへのし上がり、
『日本任侠伝』シリーズ、『網走番外地シリーズ』、『昭和残侠伝』シリーズなどに出演、東映の看板俳優になります。
http://www.tapthepop.net/song/20618
高倉は「鍛えられた体で、背筋をピンと伸ばし、不条理を耐え、寡黙で言い訳をせず、筋を通す」というキャラクター像で熱烈な支持を集め、
他の俳優とは一線を画すレベルに注目を浴びることになります。
こうした姿、風貌はさいとうたかをの『ゴルゴ13』の主人公、デューク東郷のモデルにもなりました。
その後、高倉は東映から独立を果たします。
任侠映画のみという殻を打破して、『新幹線大爆破』というパニック映画に出演。
従来のイメージを覆し、さらに輸出され、ヨーロッパでも大ヒット映画となりました。
1977年には『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の2作品に主演し、
第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞に輝きます。
これ以後も数々の作品に出演し、合計4度の日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞の主演男優賞に輝いています。
2013年には文化勲章を受章。
主演の予定であった次回作『風に吹かれて』の準備をしていましたが、
2014年、悪性リンパ腫により死去します。84歳でした。
◆名言
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人生で大事なものはたったひとつ。心です
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いい風に吹かれたいですよ。きつい風ばかりに吹かれていると、人に優しくなれないんです。待っていてもいい風は吹いてきません。旅をしないと。
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人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか。
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何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである。今それが大切に思えてきている。
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気持ちは映らないっていうけど、でもやっぱり映るんですよ。どこかそういうのがあるんだよ。それがないやつはきっと、ちょっときらっと光らないんだよね。
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一番大事な自分より、大事に思える人がいる。不思議ですね、人間って。
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人間にとっていちばん寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと。感動をしなくなったら、人間おしまいだと思うんですね。こんな淋しいことはないと思います。
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やっぱり出会う人でしょうね、一番大事なのは。どういう人に人生で出会うか。そこで決まるんじゃないですかね。やっぱり、いい人に出会うと、いろんなものをもらいますよね。
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人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ。
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拍手されるより、拍手する方がずっと心が豊かになる。
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約束を守らないやつ、男じゃないぞ
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むかちん