むかちん歴史日記284 お笑いは世界を救うシリーズ④ スーダラ節が日本中を席巻~植木等
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はお笑いは世界を救うシリーズの第4弾!!!
コミックバンド、クレイジーキャッツのメンバーとして活躍し
スーダラ節が日本を席巻した
植木等(1926-2007)
を紹介します(*^▽^*)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9C%A8%E7%AD%89
3歳のときに、父親が浄土真宗の一派である真宗大谷派の住職となり、三重県に移住します。
1939年には植木自身も僧侶となるべく、上京、1947年には東洋大学に入学し、収入を得るためにギターを始めます。
1952年には自身のトリオ「植木等とニューサウンズ」を結成。
1954年にはギタリストを探していたフランキー堺に誘われ、「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に参加し、ここでギタリストとしてではなく、コメディ・リリーフとしての才能を開花させます。
しかし、1955年、フランキー堺が俳優に転身し、日活に引き抜かれると、谷啓らのいるキューバンキャッツに移籍します。
このバンドがのちにハナ肇とクレイジーキャッツに改称し、一躍人気を博すことになります。
1961年にはクレージーキャッツの一員として、
コントでの演技や、歌、
「お呼びでない?…こりゃまた失礼いたしました!!!」
などのギャグで、爆発的な人気を得て、
さらに、1962年には『ニッポン無責任時代』に出演して大ヒットを飛ばします。
これにより、『スーダラ節』『ドント節』をはじめ数々のコミックソングをヒットさせます。
1972年にシャボン玉ホリデーは終了しますが、
植木はコメディアンと同時に俳優としても活躍します。
1990年には自身の企画でヒット曲のメドレーを収録した『スーダラ伝説』を発売し、紅白歌合戦にも出演、最高視聴率56.6%をたたき出すなど、大記録を打ち立てます。
◆植木はメディアのイメージから無責任男のイメージが強いのだが、実は非常に生真面目で物静かだったそうです。
女遊び、ギャンブルも嫌いで給料は夫人に渡す。
なので、「スーダラ節」を歌うのも最初はためらったそうです。
しかし、同じく生真面目な仏教徒であった父に怒られるのを覚悟でこの歌を聴かせて、なんと涙を流して感動したのだとか!!
「人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これこそ親鸞聖人の教えなのだ。そういうものを人類の真理というんだ。上出来だ。」
こうして植木はこれを歌うことを決断したという逸話があります。
また「ニッポン無責任時代」の古澤憲吾監督に笑ってみろと言われたもののなかなかOKが出ず、怒り出した古澤監督が
「植木君、君が演じようとしているこの男は異常なんだよ!」
といわれ吹っ切れたことによってこの無責任男のキャラが生まれたそうです。
◆植木は2007年、80歳で死去します。
むかちん