むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記283 お笑いは世界を救うシリーズ③ 落語中興の祖にして三遊亭の宗家~三遊亭圓朝

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、落語中興の祖とも呼ばれ、

今でも続く三遊亭の宗家、

 

三遊亭圓朝(1839-1900)

 

を紹介します。

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E6%9C%9D

 

三遊亭圓朝こと、出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)は1839年に江戸の湯島に誕生します。

父親は初代橘家圓太郎。

 

1845年に初代 橘家小圓太の名で見様見まねで江戸橋の寄席・「土手倉」で初高座に立ちます。

 

のちに圓太郎と同じく、三遊亭圓生の下に入門するも、母親と義兄の反対にあって、

一時は落語を離れ、歌川国芳の下で画家として修業を積むなどしましたが、

芸界に復帰します。

 

17歳で芸名を圓朝に改めて、真打ちとなります。

 

圓朝は非常に才覚があったため、師匠の圓生から嫉妬されることとなり、自身が話すはずであった演目を先回りしてしゃべられてしまうという妨害にあいます。

 

これを機に「人のする話は決してなすまじ」と心に決め、

自作自演の怪談噺、取材に基づいた実録人情噺など、オリジナルのもので勝負し、落語の新境地を開拓しました。

 

圓朝は落語界では別格に落語が巧いといわれ、敬意をこめて「大圓朝」などと呼ばれたりもします。

 

昨年亡くなった桂歌丸師匠もこの圓朝の落語を後世に引き継ぎたいと尽力された方でした。

 

また、作家の二葉亭四迷が『浮雲』を書く際に、

圓朝の落語口演筆記を参考にしたといわれ、

明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼした現代日本語の祖ともいえるのがこの圓朝です。

 

圓朝は1900年に死去。61歳でした。

 

◆名言

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何でも不器用に造るがいい、
見かけが器用に出来た物に永保をする物はない。

 

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むかちん