むかちん歴史日記282 お笑いは世界を救うシリーズ② 笑える天才浮世絵師~歌川国芳
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はお笑いは世界を救うシリーズの第2弾!!
ユーモラスな浮世絵で笑いを集めた
歌川国芳(1791-1869)
を紹介します(*^▽^*)
◆歌川国芳は1798年、江戸・日本橋の染物屋の家に誕生します。
国芳は幼少期から絵を描き始め、北尾重政らの絵を写し、
12歳で描いた「鍾馗提剣図」が初代歌川豊国の目に留まり、15歳で、豊国の門下に入ります。
豊国は華麗な役者絵で一世風靡した花形絵師でした。
国芳は学費を支払うのが苦しかったため、兄弟子の下に居候し、
彼の仕事を手伝いながら、腕を磨いていきました。
しかし、師匠や兄弟子と比べるとその人気は泣かず飛ばずでありました。
その後、1827年ごろに発表したいわゆる「水滸伝」シリーズが評判となり、
「武者絵の国芳」と称されるようになり、人気絵師の仲間入りを果たします。
https://ja.ukiyo-e.org/image/ritsumei/arcUP3240
浮世絵で順風満帆にいっているところに起きたのが、
浮世絵全体で大打撃を受けます。
国芳も黙ってはおらず、
ユーモラスな絵を通じて批判します。
天保の改革を痛烈に批判したとされるのが
『源頼光公館土蜘作妖怪図』。
これは天保の改革を批判しており、
背後の妖怪は庶民の改革への不満を描いたもの、とされています。
国芳は様々な戯画を描いたことで知られ、
庶民を笑わせていました✨
今の漫画やお笑いにも通じるその斬新な絵が受けたようです。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi020/
武者絵などで大成功をおさめていた国芳ですが、
彼が絵師として気にかけていたのが「西洋画」でした。
「西洋画は真の画なり。世は常にこれに倣わんと欲すれども得ず嘆息の至りなり」
と語っていたほどで、その技法を自身の絵にも取り込み始めます。
しかし、1856年に中風を患い、描写も鈍くなっていきます。
むかちん