むかちん歴史日記266 世界に影響を与えた賢者たちシリーズ① ローマの哲人皇帝といわれた~マルクス・アウレリウス・アントニヌス
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は世界に影響を与えた賢者たちシリーズの第一弾!
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121-180)
を紹介します(*^▽^*)
◆マルクス・アウレリウス・アントニヌスことマルクス・アンニウス・カティリウス・セウェルスは、121年、貴族の子として、ローマに誕生します。
父はアウレリウスが3歳のときに亡くなり、その後母は再婚しませんでしたが、
母は貴族の優雅な暮らしで堕落しないよう、粗食と宗教的敬虔さを彼に教えました。
アウレリウスは当時の貴族階級の御多分から漏れず、家庭教師による教育を施され、
彼の家庭教師、アレクサンデルはホメロスの研究によって知られた文学者で
アウレリウスもまた彼から修辞法を学びます。
彼より2代前の五賢帝の一人、ハドリアヌスがアウレリウスを寵愛し、
前例がないわけではなかったが、6歳のときに異例の騎士階級への叙任は
ハドリアヌスの影響では?とささやかれていました。
135年、アウレリウスは皇帝の重臣、アエリウスの娘と結婚するよう、ハドリアヌスに言われ、結婚して皇帝の側近としての地位を確立しました。
またアエリウスを通じて、ストア哲学者のアポロ二ウスから学ぶ場を得て、
彼の禁欲主義的な生活に大きな影響を与えました。
ハドリアヌスが不治の病にかかり、彼には子供がいなかったので、
アントニヌス・ピウスが後継指名されましが、
このときにアウレリウスも知らぬ間にアントニヌス・ピウスの養子とされてしまいます。
アントニヌス・ピウスには宮殿で貴族らしい生活をしろと言われますが
ストア派の禁欲主義を是としていたアウレリウスにとっては苦痛と苦悩の日々でした。
136年、アウレリウスは成人を迎えると、弁論術を学び始めた、考えられています。
161年、アントニヌス・ピウスが亡くなると、
アントニウスは皇帝に即位することになりますが、彼は全くそこに魅力を感じてはいませんでした。
ただ、皇帝に即位しないというのも不義理だという迷いがあったことも事実のようです。
彼はストアの哲学者という側面も持ち、その上で皇帝になったことから「哲人皇帝」と称されました。
自らも『自省録』という著書を書き、皇帝となってからも自らの内面を省み続けいていたといわれています。
また東西交流も盛んとなり、中国の漢に「大秦国王安敦」という記載が残っていますが
これはアントニウスのことだといわれ、漢にローマから使者から送られたことが記録に残っています。
アウレリウスは180年、戦地で病没します。
帝位はそれまでの五賢帝の人物本位の選定ではなく直系の息子に引き継がれ、
この息子、コンモドゥスは暴君として名を遺すことになります。
◆名言
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今の瞬間だけに生きよ!
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人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい
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大きな夢をみよう。大きな夢だけが人の心を動かす
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人生とは自らの想いを実現することである
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怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ
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もうしばらくすれば君は灰か骨になってしまい、単なる名前にすぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。そして名前なんていうものは単なる響き、こだまにすぎない。人生において貴重がられるものはことごとく空しく、腐り果てており、取るに足らない
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善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ
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君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ
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今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること
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エメラルドは、人に褒められなくても、その価値を失わない
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それは不運ではない。むしろ、それに気高く耐えることが幸運である
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むかちん