むかちん歴史日記265 近現代世界の首脳たちを巡る旅行シリーズ⑤ シンガポール初代大統領にして経済繁栄を実現~リー・クアンユー
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は近現代世界の首脳たちを巡る旅行シリーズの第5弾!!
シンガポールの初代首相、
リー・クアンユー(1923-2015)
を紹介します。
◆リーは1923年に当時、イギリスの海峡植民地であったシンガポールで生まれます。
リーの家系は客家(ハッカ)系の華人でリーの曽祖父の時代に清朝から移民としてわたってきたそうです(*^▽^*)
英語を話す家系に生まれたため、幼くして英語教育を受け、Harryという英語名も持っていました。
このような家系はシンガポールでは当時エリートとされ、海峡華人と呼ばれていました。
彼は先述のとおり、中国系ではあったものの、中国語が話せなかったので、中国系の友人はおらず、一緒に遊んでいたのはマレー人だったそうです。
リーはラッフルズ大学で学ぶものの、1942年に太平洋戦争が勃発すると、
イギリスの植民地であったシンガポールは日本に押さえられ、大学が閉鎖されます。
しかし、このときに日本語と中国語を勉強し、連合国の通信を盗聴した内容を翻訳するという役割をします。
戦後は1945年にイギリスへ留学し、ケンブリッジ大学で法律学、1949年には帰国後に弁護士資格も取得します。
華人系の住民とつながりを持つようになり、労働組合の運動指導者にまでなり、
共産主義には疑問を感じるが、マラヤ共産党の抗日、反英運動には力を貸していきます。
1954年、“ビールを飲むブルジョアたち”と称した英語教育を受けた中産階級グループと共に人民行動党を創設します。
1955年の議会初当選以降、野党指導者として政権を批判し続けます。
1959年、リーの人民行動党は第一党となり、かつシンガポールは国防と外交を除いた国内問題に対する自治権を獲得したことによって、リーはシンガポールの初代首相となります。
1961年、リーはマラヤ連邦との合流をすすめ、合意形成していきます。
しかしこの連邦はマレーシアにもともと居住するマレー系とシンガポールに多い華人系の衝突によって短命に終わってしまいます。
マレーシアを合併することが唯一の生き残る道と考えていたリーにとって、これは苦渋の選択でした。
これにより独立国家シンガポールとして再出発することになります。
まずリーはシンガポールの独立国家としての認知度を高めるため、1965に国際連合に加盟、1967年に東南アジア諸国連合(ASEAN)を設立、1973年にはインドネシアに訪問し、良好な関係を築きます。
国防については非常に脆弱であったので、スイスを模範とし、非同盟と武装中立を国是として宣言しました。
1967年にイギリス軍がシンガポールから撤退もしくは削減することになったことから
政府は職業軍人以外の兵力確保のために2年間の兵役を義務付けるようになります。
経済については、マレーシアという後ろ盾を失い、イギリス軍も撤退したことから
厳しい船出を余儀なくされることになりますが、まず外国資本誘致による輸出志向型工業化戦略を打ち立てます。
空港・港湾・道路・通信ネットワークなどの近代化に必要なインフラストラクチャーを整備し、観光にも力を入れます。
こうした政策の結果、シンガポールの失業率は1965年の14%から1975年には6.5%にまで縮減します。
1990年ゴー・チョクトンに首相の座を譲ります。
2015年逝去。91歳でした。
むかちん