むかちん歴史日記264 近現代世界の首脳たちを巡る旅行シリーズ④ 東西ドイツ統一を成し遂げた~ヘルムート・コール
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は近現代世界の首脳たちを巡る旅行シリーズの第4弾!!
東西ドイツ統一を成し遂げた西ドイツ首相
ヘルムート・コール(1930-2017)
を紹介します(*^▽^*)
◆コールは1930年に当時のドイツ、バイエルン州のカトリック教徒の家庭で育ちました。
兄の一人は第二次世界大戦で戦死しますが、コールは徴兵はされましたが、戦闘に参加することはなく、終戦を迎えました。
ギムナジウム在学中の1946年にキリスト教民主同盟(CDU)に入党します。
1950年からフランクフルト大学やハイデルベルク大学で学び、
1958年には博士号を取得します。
1971年、キージンガーの後継の党首選に出馬し、バイツェルに敗れますが、
バイツェルがドイル社会民主党のブラントに対する不信任決議で敗れると、
党内での威信が下がり、コールがその後継党首に就任します。
コールは1976年に初めて首相候補として選挙に臨み、第一党を獲得するものの
社会民主党と自由民主党の連立政権から政権奪取までには至りませんでした。
しかし1982年に社会民主党と自由民主党が経済政策で社会民主主義的な比較的手厚い社会保障か、新自由主義かで対立、
これをチャンスとみたコールは自由民主党にすぐに連立協議をもちかけ、シュミット首相の不信任が可決します。
これにより連立政権で第一党のコールの首相就任が決まります。
コールの政策は東西冷戦下でのNATO(北大西洋条約機構)の軍事力の強化や
内政では当時のイギリスのサッチャーやアメリカのレーガンといった流れである
小さな政府を志向する新自由主義路線を取ったが、ドイツは伝統的に社会民主主義が強い国なので、そこへの配慮も見せた。
そして訪れたのが、一連の東欧革命のなかで次々にソ連の下にあった国々が独立していき、ついに1989年、ベルリンの壁が崩壊します。
当初は第二次世界大戦の経験からドイツの再統一への警戒感もあったが、
コールは統一しないことの不利益を説き、統一推進派として、米英ソの同意を得ることに成功します。
そして1990年、ドイツは興奮と歓喜の中、再統一を果たすのです。
このときのコール政権への支持は頂点に達し、選挙の勝利します。
しかし、次第に東ドイツとの経済格差など東西統一の難しさが浮き彫りになり、
またコール政権への飽きも伴って、1998年の選挙で大敗し、退陣を余儀なくされます。
コールは初代連邦首相アデナウアーの14年という記録を抜いて16年首相を務めました。
そして2017年に87歳の生涯を終えます。
むかちん