むかちん歴史日記169 日本の強い女性シリーズ④ ~日本初の女性衆院議長 土井たか子
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は日本の強い女性シリーズ、第4弾!
日本で初めての女性の衆議院議長を務めた
土井たか子(1928-2014)
を紹介します♪
◆土井たか子は元衆院議長、社民党党首で「おたかさん」の愛称で親しまれました。
1969年に旧兵庫2区で、日本社会党から出馬して、初当選します。
日本社会党は1955年来続いていた55年体制において、ずっと与党の座にいた自由民主党(自民党)に対して、野党最大勢力であったのが日本社会党です。
1986年、衆参同日選挙で、石橋正嗣委員長率いる社会党が大敗すると、
土井が第10代社会党委員長に就任します。
土井のはっきりした物言いが国民の支持を集めました。
土井が社会党委員長に就任した頃は、
中曽根政権下で、改憲論の中曽根に対し、護憲・9条堅持で抵抗しました。
中曽根が売上税法案を提出したときも土井は民社党や公明党とともに反対、
参議院議員の補選で勝利を収め、廃案に追い込みました。
また、竹下政権でも消費税法案が出され、竹下が強行。
リクルート事件と合わせて激しく追及し、
宮澤大蔵大臣を辞任に追い込んだうえ、
消費税法案を通した竹下内閣も退陣させます。
1989年の参院選で、日本社会党、公明党、民社党の選挙協力体制で臨み、
社会党は自民党を過半数割れに追い込んで、比較第一党になります。
これは土井の個人的人気の高さにも起因するものでもあり、
土井ブーム(マドンナブーム)と呼ばれました。
このときに土井が言った「山が動いた」という言葉が当時の流行語となりました。
1991年統一地方選で敗北した土井は社会党委員長を引責辞任します。
◆1993年、非自民非共産の細川護熙政権が誕生すると、日本社会党も連立政権に入り、土井は女性初の衆院議長に選出されます。
政治改革4法案が与党の一員である社会党議員が参議院で造反をしたことにより、否決される事態に陥ります。
土井は仲裁に入り、細川首相と河野洋平自民党総裁との会談を実施させますが、
これにより、社会党にとっては不利となる選挙制度への移行が進み、支持者からは「土井の失策」といわれました。
◆1994年には細川政権・羽田政権の瓦解により、自社さ政権が誕生、この際総理となったのが社会党委員長だった村山富市でした。
しかし、村山は95年の参院選で惨敗、96年に党名を社民党へ改称します。
このころに旧さきがけとの統合の話が浮上、旧民主党の設立になるのですが
村山や土井は「排除の論理」で新党への参加は拒否され、
議員の大半を失った社民党は党首を土井へ交代します。
しかし、北朝鮮をめぐる対応などで、社民党を孤立させ、自身も2005年の衆院選で落選すると、土井は政界を引退します。
個人的な政治活動は続けていたものの、2014年、85歳で逝去します。
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むかちん