むかちん歴史日記459 20世紀の世界に影響を与えた指導者④ アパルトヘイト撤廃に尽力した南アフリカ大統領~ネルソン・マンデラ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は20世紀の世界に影響を与えた指導者シリーズの第4弾!!!
ネルソン・マンデラ(1918-2013)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A9
◆ネルソン・マンデラは1918年、南アフリカ共和国のテンブ人の首長の子として誕生します。
彼は少年時代に、首長から部族社会の反英闘争の歴史や、部族の首長が持つべきリーダーシップや寛容の精神を聞いて育ったため、その精神が反アパルトヘイト運動で生きることとなります。
大学卒業後の1944年、アフリカ民族会議(ANC)に入党。
その青年同盟を創設して、反アパルトヘイト運動に取り組みます。
1948年、ダニエル・マラン率いる国民党が政権を取ると、アパルトヘイト体制が急速に加速していき、ただでさえ制限されていた黒人の権利がさらに制限されるようになるとANC内でもより強硬な対決姿勢を求める声が上がり、それまでの穏健な指導部を追い落として、マンデラらが指導的立場に立つようになります。
1950年、ANC青年同盟議長に就任し、アフリカ民族会議を構成する南アフリカ共産党にも密かに入党、党中央委員を務めるようになります。
1952年には黒人初の弁護士事務所も開業。
1955年には他の政治団体とともに、全人種の参加する人民会議を開催して、自由憲章を採択し、自由民主主義を旗印とするようになりました。
こうした活動が南アフリカ政府から睨まれ、1956年には国家転覆罪で裁判にかけられますが、無罪となります。
しかし、1960年、警察が黒人政治団体の抗議活動に対して発砲し多数の死者を出したシャープビル虐殺事件が起こると、マンデラも武装蜂起路線へと転換、その結果、1962年に逮捕されます。
裁判によって1964年、マンデラは国家反逆罪で終身刑となり、ロベン島へ収監されます。
獄中にあったマンデラは解放運動の象徴としてその存在が必要とされ、全世界から求められるようになりました。
1990年、当時の南アフリカのデクラーク大統領はANCほか禁止されていた政治団体の活動許可とともにマンデラ釈放を約束、ついにマンデラは27年間に及ぶ獄中生活を終え、釈放されました。
マンデラはアパルトヘイトの撤廃と反アパルトヘイトによる暴力的な抵抗の終結のため、尽力し、1993年ついに暫定憲法が国会で採択され、1994年4月に全人種参加の制憲議会選挙を行い、選出された新議会において新憲法を作成することが定められました。
1993年末にはデクラーク大統領とマンデラはノーベル平和賞を授与されています。
1994年、全人種参加選挙が行われ、マンデラが大統領に就任。
マンデラは全人種の融和に心を砕き続けました。
1996年新憲法の制定、1997年に施行されました。
1999年、任期満了に伴い、大統領を辞任、政界も引退します。
2013年12月、マンデラはヨハネスブルクで亡くなります。95歳でした。
このマンデラの追悼式には日本の皇太子殿下やイギリスのチャールズ皇太子、オバマ大統領やクリントン、およびカーター元アメリカ大統領など各国のトップクラスの人物が訪れ、弔問外交となりました。
むかちん