むかちん歴史日記78 ムスタファ・ケマル・アタトュルク
新宿から歴史を発信!むかちんです(*^▽^*)
今日はトルコ共和国の生みの親、
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881-1938)を紹介します(*゚▽゚)ノ
参照元 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%AF
軍に入隊。
当時、オスマン帝国は、次々に戦争に敗北し、「瀕死の病人」と言われているなかで、
その衰退を止めるため、
「青年トルコ革命」を起こし、
当時の皇帝、アブドュル・ハミト2世を退位させました。
この革命は、1904年日露戦争での日本の勝利を見てトルコの青年将校が奮起した、と言われています。
これにより、トルコは立憲主義国家(憲法に基づく国家)になります。
この革命にムスタファ・ケマルも参加していました。
伊土戦争、バルカン戦争、
第一次大戦を経験。
トルコはこの時代、ヨーロッパ諸国の帝国主義の荒波にさらされます。
ですが、イギリスなど連合国軍側に敗れます。
◆これにより、連合国に領土分割する屈辱的な条約である、セーヴル条約を結びます。
これに対する抵抗運動が勃発、ケマルはこの指導者となり、トルコ領に侵攻しようとしたギリシア軍を撃破、
1920年にトルコ国民党を率いて、
いままでのスルタン政府とは絶縁し、
新政権を樹立します。
1922年、ギリシアと講和。
連合国とのセーヴル条約も破棄して、
ローザンヌ条約を結び直し、
アナトリアの領土を回復します。
そして1923年にトルコ共和国を樹立、
初代大統領になります。
カリフ制を廃止して、政教分離を行い、トルコの世俗化に努めます。
(要は政治とイスラム教の関わりをなくす)
この一連の流れを「トルコ革命」といいます。
これを成し遂げたのが、
ムスタファ・ケマル・アタテュルクなのです♪
◆名言
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主権は無条件に国民のものである
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世界のある地域にひとつの悩みがあってもそれは私の知ったことではないといってはならない
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誠実さは言葉を持たない。それは言葉にならないものである。誠実さは、その人の瞳と、ものごしの中に読み取ることができる
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その血を流し、命を失った英雄たちへ:諸君は今、友好国の土の中で眠っている。それゆえ、安らかに眠りなさい。ジョニー(イギリス人)とメフメット(トルコ人)は私たちにとって何の違いもない、ゆえに私たちのこの国の土の中で隣あって眠るのだ
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むかちん