むかちん歴史日記457 20世紀の世界に影響を与えた指導者② イギリスに保険制度を導入した首相~ロイドジョージ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)
今日は20世紀の世界に影響を与えた指導者シリーズの第2弾!
イギリスに保険制度を導入し、また第一次大戦の戦後処理にもあたった首相
デビット・ロイド・ジョージ(1863-1945)
を紹介します(≧▽≦)
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8
◆デビット・ロイド・ジョージは1863年にイングランドのマンチェスターで誕生します。
幼くして父を失ったため、母方の叔父の元に身を寄せます。
母方の叔父は非国教徒のウェールズ愛国者で自由党を支持する中産階級者であったため、彼もその影響を受けて、反国教会、反保守党、反大地主の思想を持っていました。
1878年から弁護士事務所で働き始め、1884年に弁護士資格を取得、独立・開業します。
1890年の補欠選挙で自由党候補として出馬し、庶民院議員に当選。
1905年にはヘンリー・キャンベル=バナマンを首相とする自由党政権が成立すると通商大臣として入閣、1908年に首相がハーバート・ヘンリー・アスキスに代わると大蔵大臣に転任します。
同年に老齢年金法制定を主導して、70歳以上の高齢者に年金を支給する無拠出老齢年金制度を創出し、その財源確保のために、自由帝国主義派が主張する海軍増強には反対します。
1911年には国民健康法の制定を主導、これによってイギリスに健康保険制度と失業保険制度が制定されます。
第一次世界大戦が勃発した際は反戦派の中心人物でしたが、途中から参戦派に転じたため、アスキス挙国内閣も参戦に転じます。
1916年、ロイド・ジョージが陸軍大臣に就任すると好転しない戦況を見て、優柔不断なアスキスを戦争指導者から遠ざける必要を痛感し、ロイド・ジョージは保守党からの支持も得て、結果的にアスキス内閣を総辞職に追い込んで、自由党ロイド・ジョージ派と保守党に支えられたロイド・ジョージ内閣を組閣します。
1919年、パリで行われた第一次大戦の講和会議に参加し、アメリカのウィルソン大統領やフランスのクレマンソー大統領とともにドイツに講和条約を突きつけました。これがヴェルサイユ条約で戦間期のヴェルサイユ体制が構築されます。
オスマン帝国に対してはセーヴル条約を結んで、イギリスはパレスチナとイラクを獲得し、大英帝国は中東でかつてないほどの強力な支配を行うようになります。
1922年のチャナク危機でトルコとの開戦も辞さない状況にまで陥りますが、外交努力でこれは回避。しかし、そうした態度に嫌戦感のつよい国民が反発、保守党議員からも離反され、自由党が没落していく契機を作りました。
結局自由党は労働党に後塵を期す第三勢力となっていき、ロイド・ジョージは党首を辞職。
晩年は一匹狼で活動して、公共事業投資のケインズ政策を訴えますが、これは当時はだれにも相手にはされませんでした。
一方でドイツのナチ党が積極的に公共事業投資を行っているのを見て、これを好意的にとらえていました。
1945年、82歳で亡くなります。
むかちん