むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記443 世界の歴史小説の題材となった人物③ 十字軍と戦ったイスラームの英雄~サラディン

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は世界の歴史小説の題材となった人物シリーズの第三弾!!!

 

十字軍と戦ったイスラームの英雄

 

サラディン(1137-1193)

 

を紹介します。

 

Portrait of Saladin (before A.D. 1185; short).jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3

 

参照元 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%80%8C%E8%8B%B1%E9%9B%84%E3%80%8D-%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D%E3%81%A8%E6%88%A6%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E6%AC%A1%E9%AB%98/dp/4062920832

 

◆1137年、サラディンイラク北部の町で誕生します。

サラディンクルド人で、父はセルジューク朝クルド人代官でしたが、サラディンの叔父が誤ってキリスト教徒の官吏を殺害したために一家で追放の憂き目に遭います。

 

しかし、父と伯父が以前、戦に敗れたところを逃れる手引きをして助けたザンギー軍団長から恩返しで彼に迎え入れられ、現在のレバノン東部にあたるパールベックの地を与えられます。

 

1146年にザンギーが手下の奴隷兵に暗殺されると、父や叔父のいるパールベックも攻められますが、交渉を重ねて、ダマスクス近郊の村落をいくつか得て、サラディンダマスクスに移住します。

 

1152年、成人とみなされる数え年15歳のときに、サラディンダマスクスの父のもとを離れ、ザンギーの息子でシリアに勢力をもつ、ヌールッディーン・マフムードの許に伺候します。

 

このヌールッディーンはシリア内陸部の都市をほとんど手中に収め

このヌールッディーンからの信頼がサラディンは大変厚かったとされています。

 

1160年代には3度のエジプト遠征が行われ、サラディンはここで軍功をあげます。

ファーティマ朝は滅亡、サラディンはエジプトにアイユーブ朝を設立して、完全に手中に収めます。

 

このころから主君ヌールッディーンとの関係性が悪化し、サラディンは領土的野心を疑われることになります。サラディンダマスクスへの帰還命令を理由をつけて拒み続けたため、ヌールッディーンはこれを反逆ととらえて自らエジプトへ遠征しようとしますが、1171年に病没します。

 

ヌールッディーンの幼い息子、サーリフが即位すると、十字軍の侵入や側近の裏切りに遭うことになり、サラディンに援軍を求めます。

 

サラディンはこれを好機ととらえてシリアへ親征、ダマスクス無血開城を果たし、ついにはシリアをも手中に収めます。

 

そして1187年にはエルサレム王国を攻撃、十字軍の主力部隊を破って、エルサレムを奪還します。

しかし、彼は捕虜に対して寛大な処置を取り、身代金の有無にかかわらず、全員放免しています。

これはかつて、十字軍がエルサレムを侵略したときに、捕虜を虐殺したのは対照的で、サラディンが今日まで英雄として語り継がれる要因の一つになっています。

 

彼は非常に人格者であったことがうかがえます。

 

しかし1189年にリチャード1世が第三回十字軍を派遣してくると、

アッコンなどを奪われますが、エルサレムは守り切ります。

両軍とも疲弊し、1192年休戦条約を結び、キリスト教徒のエルサレム巡礼も認める処置を取ります。

 

この翌年、1193年サラディンは亡くなります。

 

むかちん