むかちん歴史日記202 ランチタイムに見たいコメディアンシリーズ② アメリカの喜劇俳優~バスター・キートン
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はランチタイムに見たいコメディアンシリーズの第二弾ということで
バスター・キートン(1895-1966)
を紹介します(*'▽')
◆1895年、カンザス州の舞台俳優の両親の下に生まれ、キートン自身も子役として巡業に参加していました。
イギリスで公演するなど、海外巡業も経験していました。
1917年にニューヨークへ渡り、映画初出演を果たします。
キートンは1度も撮り直すことなく、撮影が終わったという逸話を残しています。
体を張りながらも、無表情で一途な役柄を特徴としたことから、
「The Great Stone Face(偉大なる無表情)」というニックネームがつけられました。
他にも当時から「すっぱい顔」「死人の無表情」「凍り付いた顔」「悲劇的なマスク」などと呼ばれていました。
1920年代を中心に大変な人気俳優に上り詰めました。
キートンはチャップリンやハロルド・ロイドと並んで「世界三大喜劇王」と呼ばれます。
『キートンの恋愛三代記』などは彼の出演する長編映画の代表作にもなりました。
1928年、キートンは自身で撮影所を持っていましたが、それを手放し、大手映画制作会社のMGMと契約をします。
しかし、キートンはMGMでの映画製作システムに対応できなくなっていました。
1933年までMGMで映画製作に取り組みましたが、徐々に仕事は衰退していきました。
映画も移行期で、サイレント映画が衰退し、トーキー技術が隆盛しており、
キートンがこれとマッチしなかったと評されることが多いようです。
MGMとのスケジュールをキャンセルする事態が続き、解雇されると、
酒量も増えて、アルコール使用障害に陥り、破産も経験しました。
いったんはハリウッドの一線からは退いたという見られ方をされていたキートンですが
脇役での仕事や原案の提供、ギャグの創作・指導などを行っており、
1950年代にはTVショーや、ヨーロッパでの舞台に迎え入れられ、
仕事に恵まれた時期になりました。
1957年には伝記映画『バスター・キートン物語』も公開されます。
1966年肺がんにより死去します。享年70歳。
むかちん