むかちん歴史日記250 世界の最盛期の君主を巡る旅行シリーズ⑤ 映画『英国王のスピーチ』で有名~ジョージ6世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は世界の最盛期の君主を巡る旅行シリーズの第5弾!!!
映画『英国王のスピーチ』でも話題になった
ジョージ6世(1895-1952)
を紹介します(*^▽^*)
◆ジョージ6世はのちのイギリス国王ジョージ5世と王妃メアリの間に1895年、誕生しますが
王太子として育てられた長兄エドワードの陰に隠れていて、王位継承は期待されていませんでした。
ジョージ6世は吃音であったことで有名で、そこからくる内気さもエドワードに比べて目立たなかった要因ではありました。
吃音であったために彼は公式の場でのスピーチがとても苦手で、
それを克服するためにオーストラリア人のセラピスト、ライオネス・ローグの治療を受け始めました。
1936年、父ジョージ5世が他界すると、エドワードがエドワード8世としてイギリス国王に即位しますが、彼は離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望み、議会との対立を深めます。
当時の首相、ボールドウィンは政治的、宗教的な理由から国王に在位したままでの結婚は不可、という勧告を行い、エドワード8世が退位、ジョージ6世が即位することになります。
しかし、彼には全くその気がなかったといわれ、当初はとても不本意だったそうです。
これによりますます公の場での演説は避けがたいものとなり、
よりきちんと治療をしていきました。
このあたりの話が『英国王のスピーチ』です。
ジョージ6世の治世は世界的にも激変の時期で
ドイツでヒトラーが台頭し、第二次世界大戦への機運が高まりつつありました。
当時、孤立主義を深めつつあった両国と宥和し、関係を築いていくことに
ジョージ6世は成功しました。
特に彼とアメリカ大統領、フランクリン・ルーズヴェルトの間で生まれた友情関係はその後の英米関係に大きな影響を与えました。
1939年、ドイツに宣戦布告し、1940年には宮殿に爆撃を受けるなどしましたが
ジョージ6世は民衆と分かち合うチャンスだとある意味好意的にとらえました。
ドイツと開戦する際のスピーチです。
何度もつかえそうになりますが、演説をやり遂げます。
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ジョージ6世「この重大な時、おそらく歴史上もっとも運命的なこの時に、国内外の国民に対し、私はこのメッセージを送る。
私はみなさん一人ひとりのところに、自分自身がみなさんのところにいるように、深い思いを込めて話している。
戦争は、多くのものにとって、2度目となる。
何度も繰り返し、いまや敵となった者たちと私たちの間の違いを乗り越えるため、平和的な方法が追求してきた。
だが、その努力は無駄となった。
我々は、主義への挑戦を受け、闘うことを強いられている。
もし我々の主義を守ることができなければ、世界の文明化された秩序は終わりを告げるだろう。
彼らの主義の虚飾をはげば、そこにあるのは”力こそ正義”という原始的な信条である。
大切なものを守るために、彼らの挑戦を受けないことは考えられない。
崇高な目的のために、私は今、母国にいる人々、そして海外にいる人々に語りかけている。
この試練の時に、冷静に、動じること無く、団結して欲しい。
困難が待っている。
眼の前には暗い日々が広がっているかも知れない。
戦争はもはや戦場だけのものでははない。
だが、われわれは正しいと思うことを正しくやるだけだ。
そして、謹んで神に委ねよう。
我々全員が、強くそう信じるならば、神のご加護によって、我々は勝利することだろう」
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日本との開戦し、マレーなどの植民地は押さえられてしまいますが
ジョージ6世は各地を慰問し、戦意を鼓舞していきました。
国王夫妻は戦争を最後まで完遂することを宣言し、その不屈の精神から
国民からはとても慕われる国王となりました。
イギリスは大英帝国を維持するだけの国力を失っており、
アトリーが首相の時代に数多くの自治領が独立を果たします。
ジョージ6世はまた反人種差別で知られ、南アフリカで白人のみに叙勲するように南アフリカの政府関係者に伝えられたときには愕然としたといわれています。
1952年、戦時中から体調を崩していたのが悪化し、ジョージ6世は亡くなります。
52歳でした。
むかちん