むかちん歴史日記480 ルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王⑤ フランス絶対王政の象徴~ルイ14世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王シリーズの第5弾!!!
フランス絶対王政の象徴的な国王
ルイ14世(1638-1715)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Louis_XIV_of_France.jpg
◆ルイ14世は1638年、フランスブルボン王朝の国王ルイ13世の長子として誕生します。
父であるルイ13世は母で王妃のアンヌを信用していなかったため、自分の死後にアンヌが実権をにぎらぬよう、摂政諮問会議の設置を遺言します。
1643年、ルイ13世が41歳で死去するとわずか4歳のルイ14世が即位して、母后アンヌが摂政となりますが、アンヌと実質的な宰相となる枢密卿マザランによって遺言の摂政諮問会議は廃止されてしまいます。
マザランは有能な政治家ではあったものの、非常に私財を蓄える癖のある人物で、フランスの民衆も貴族も財政逼迫によって苦しめられ、母后と枢密卿をよく思ってはいませんでした。
1651年、王権の強化によって既得権を奪われることを恐れた貴族たちがフロンドの乱を引き起こしますが、これはマザランの巧みな手腕によって鎮圧されます。
1654年、15歳を迎えたルイ14世は正式に王位を授かります。
当然のことながら、それでも母やマザランの影響は大きかったのですが、
1661年、宰相マザランが他界すると、23歳で親政を宣言し、内政・外交を自らで積極的に統治していきます。
彼は「朕は国家なり」と言ったとされますが、ルイ14世は王権神授説に基づく絶対王政を敷きます。
但し、ルイ14世が他の王と違ったのは宰相を置かずに王政を補佐する機関として最高国務会議を設けたこと、その最高国務会議は王族や貴族を排除して、実力本位の官僚を採用したことなどの特色があります。
実力本位の官僚で言うと、財務を担当するコルベールや軍政を担当するルーヴォワは市民階級の出身でした。
財政を任されていたコルベールは傾いた国家財政の再建を目指して、国家が輸出入や商品流通などの経済活動に強く介入して、国富を富まし、財政を安定させ、国内の金銀保有量を増やすため、輸入を制限して輸出を増やすことを目指す、いわゆる重商主義政策を取りました。
1664年にはフランス東インド会社を再建して、海外植民経営の積極化に乗り出し、北アメリカのミシシッピ川流域の広大な領土を獲得、そこをルイジアナと名付けます。
インドにおいてはポンディシェリ、シャンデルナゴルにおいて、商館を設けて貿易を拡大します。
外交においては、ハプスブルク家との衝突を重ね、イギリス・スペインの同君連合と戦うことになります。これは第二次英仏百年戦争とも呼ばれ、各地でイギリスとフランスは領土をめぐって紛争しました。
ルイ14世は国内的にはヴェルサイユ宮殿を建立したことで有名です。
参照元 https://do-cca.com/2018/06/12/worldcastle_versailles/
ここに貴族・官僚およそ一万人を集めて、彼らを統制することに成功します。
豪勢な暮らしをしていたとされます。
ルイ14世の晩年は度重なる戦費によって、フランスの財政は破綻寸前となっており、重税のためにフランスの民衆は困窮していました。
1715年、壊疽によって76歳で亡くなります。
彼の葬列では彼の死を歓喜し、罵声を浴びせるものもいたとされます。
続くルイ15世も度重なる戦争でフランス財政を逼迫、その次代ルイ16世のときについにフランス革命が勃発することになるのです。
むかちん