むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記481 日本の名映画監督、脚本家① 女性映画の巨匠~溝口健二

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は日本の名映画監督、脚本家シリーズの第一弾!!!

 

女性映画の巨匠と名高い

 

溝口健二(1898-1956)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

参照元 https://100kenjimizoguchi.com/100kenjimiyazaki-com/

 

溝口健二は、1898年に現在の東京都文京区の大工を営む家庭に誕生します。

1913年、満15歳のときに、浴衣の図案屋に弟子入り、その後、模様絵師に弟子入りして、1916年には洋画研究所で洋画の基礎を学びます。

 

1920年、日活向島撮影所入社。俳優志願で入社しましたが、小口忠の助監督に就くことになり、やがて田中栄三の助監督として、彼の代表作である『京屋襟店』などの作品を担当します。

 

1923年、『愛に甦る日』で映画監督デビューを果たしますが、貧乏生活の描写があまりにも写実的過ぎたがために、検閲で大幅にカットされてしまいます。

 

1932年、日活を辞めて、新興キネマに入社します。1933年の泉鏡花作品の映画化となる『瀧の白糸』がキネマ旬報ベストテン第2位にランクインされ、興行的にも成功、溝口のサイレント期の傑作となります。

 

その後、松竹加茂撮影所に移り、村松梢風原作の『残菊物語』、田中絹代の『浪花女』、川口松太郎原作の『芸道一代男』といったいわゆる『芸道三部作』を制作します。

しかし、溝口はそこからしばらくスランプ期に入り、低迷します。

 

これを脱却させたのが井原西鶴の『好色一代女』を基に製作した1952年の『西鶴一代女』で、ヴェネツィア国際映画祭に出品されるや海外の映画関係者から絶賛され、国際賞を受賞、海外で一躍注目を集めたことによって、溝口の国内での評価も大きく変わります。

 

参照元 https://item.rakuten.co.jp/smileone-dvd/10260230/

 

1953年の上田秋成原作『雨月物語』、1954年の『山椒大夫』でサン・マルコ銀獅子賞を受賞、1952年から3年連続で国際映画祭での受賞という快挙で、国際的に注目を集める映画監督となります。

 

1955年には大映取締役、同年紫綬褒章を受章。

 

溝口はワンシーン・ワンカット長回しを多用する技法で知られ、非常に妥協を許さない映画製作を行っていました。

演技指導も非常に厳しく、やり直しを命じるも役者に演技の指摘は一切しないので、途方に暮れる役者もいたほどでした。

 

1956年、単球性白血病により逝去します。56歳でした。

 

むかちん