むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記244 ランチタイムに読みたい日本の文豪を巡るシリーズ④ 酒好きの日本文学界の巨匠~井伏鱒二

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、ランチタイムに読みたい日本の文豪を巡るシリーズの第4弾!!

 

酒好きで、日本文学界の巨匠でもある

 

井伏鱒二(1898-1993)

 

を紹介します。

 

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参照元 

https://www.shinchosha.co.jp/writer/863/

 

井伏鱒二は1898年、室町時代にまで遡れる広島県の旧家の井伏家に誕生します。

1912年、旧制広島県立福山中学校(現広島県立福山誠之館高等学校)に進学し、

そこの庭の池に飼われていた山椒魚がのちの彼の処女作になる『山椒魚』に繋がります。

 

中学3年の頃から画家を志望して、画家に弟子入りしようとするが断られ、断念します。

 

文学好きの兄の勧めで文学に転向、早稲田大学文学部仏文学科に入学します。

しかし、1921年、教授と衝突したことにより、退学します。

 

そこからは同人誌へ参加し、文学作品を投稿します。

1929年には1923年に発表した『幽閉』を改作して有名な『山椒魚』を発表します。

 

1938年、「ジョン萬次郎漂流記」で第6回直木賞受賞、『文学界』誌の同人となりますが、戦時中は陸軍に徴用され、その後、日本軍が占領したシンガポールに駐在し、

現地の日本語新聞の編集に携わります。

 

井伏は1944年に彼の門下である岩月英男の実家である山梨に疎開します。

当時、井伏は太宰治と交流があり、岩月は出版社の創業者でしたので、太宰の作品を刊行していました。

 

太宰治は井伏に原稿をたびたび持って行ったそうですが、井伏はよいとも悪いともいわず、

ただポツリと核心をついたことをいう。

 

例えば、太宰の作品に『津軽』という作品があるのですが、

これは出版社から風土記を書いてくれと言われ、当然ながら彼の出身地である津軽を書こうとしますが、書き方がわからない。

太宰が愚痴ると、井伏は「僕だったら、旅をしてるように書くかなー」とさらっとつぶやく。

そうすると太宰は本当にそのように仕上げてきたそうで、井伏は何かをはっきり提言するタイプではないが、

大事なことをさらっという感じの人物だったようです。

 

1965年、『新潮』に代表作『黒い雨(連載当初は姪の結婚)』を発表します。

これは1966年に野間文芸賞を受賞、さらには映画化もされます。

この黒い雨は原爆の恐怖とさらにそこからくる「黒い雨」による二次被ばくの恐ろしさを克明に描いた作品でした。

 

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参照元 

https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/f34b1e6a374ff5dc0134df765e8d8c92

 

また井伏は酒飲みとしても知られ、彼が荻窪に住んでいたことから

中央線沿いの飲み屋によく顔を出していたようです。

 

1993年、肺炎のため、95歳で死去します。

 

むかちん