むかちん歴史日記170 日本の強い女性シリーズ⑤ 女性初エベレスト登頂~田部井淳子
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は日本の強い女性シリーズの第5弾ということで、
女性で初めてエベレスト登頂に成功、七大陸最高峰を登頂した
田部井淳子さん(1939-2016)
を紹介します(≧▽≦)
https://www.atpress.ne.jp/news/31423
◆田部井は大学卒業後、社会人の山岳会に所属し、登山活動に力を注ぎました。
谷川岳や穂高岳のクライミングに熱中し、1965年、佐宗ルミエと共に、女性ペアによる初めての谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功しました。
1969年には「女性だけで海外遠征を」を合言葉にして、
女子登攀クラブを設立し、翌年には、アンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功します。
1975年、エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功します。
これにより、田部井は数々の賞を受賞します。
余談ですが女性だけのチームでエベレストに登頂したのには
シンプルな理由があり、それ男性と混合なのにくらべて、体格差や体力差がないこと
トイレなどを気兼ねなくできることなどがあります。
男性がいるとどうしても登山のペースが異なったり、
男性の目が気になりがちな部分もあるので、
この「女性だけ」というのがエベレスト登頂に成功するためには必要な要因の一つだったと言えます。
その他、田部井が登山をしている際にもうダメだと思ったエピソードとしては
一回目はエベレストの第二キャンプ(6500m)でテントごと雪崩に埋められ、
二度目は1986年にポベーダ山(トムール)の雪崩で600m流され、
三度目は、その夜に再び近くを通過した雪崩の爆風に襲われ、テントごと吹き飛ばされた[8]。
ポペーダ山では1999年に登ったときにも雪崩がテントを襲ったが、早朝に出発していたため助かったそうです。
このような困難に出会っても山に行き続ける田部井の情熱は相当なものでした。
しかし、田部井はガンを患うようになります。
それでも山に行き続け、雪崩に比べたらガンなんて、といって、前向きに生きていました。
田部井は2016年、ガンで死去します。77歳でした。
◆名言
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実際に山に行くと、教科書にはないことがいっぱい出てくるわけですよ
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多くの会社を回ろうと、計画書をもって私もずいぶん歩きました。しかし、全然相手にされず、女性だけでヒマラヤ登山ができるはずはないとか、90%以上の可能性がなければ社として援助はできないとか、私の年齢などまで質問され、人からお金をもらうとはこのようなことなのだと理解しました
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歩けるうちは歩きたい。生きているうちは、1分1秒でも楽しく、やりたいことをやって生き抜けたい
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病気になったことは受け入れるしかない。でもしっかり受け入れたのだから医学的なことは先生にお任せして、ただ体が治療でどんなに辛くても歩かなければ絶対にダメ!という体の声に応えること。それが私にできること
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大事なのは平常心。どういう方法で切り抜けられるか、頭で考えることができるのが人間。だからそのときにオタオタしない
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私が山頂に立ったことは事実ですけれど、それを成し遂げたのはチーム全員の力なんだという思いがあります
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人間に必要なものは、「自然と読書」 楽しむものは「自然を食」 大事なものは、「出会い」です
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人生は楽しいもの。決して人を責めず、時間を上手に使い、一つずつ扉をあけていきましょう
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すべての基本は平常心。そして、選択の幅を広く持っているほど、難局でも明るく、前向きに受け入れられるのだと思います
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人生は、8合目からがおもしろい
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むかちん