むかちん歴史日記149 映画・テレビ・舞台シリーズ④ 愛のムチで俳優を育成~蜷川幸雄
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(#^^#)
今日は、映画・テレビ・舞台シリーズの第4弾!!!
苛烈な愛のムチで有名な演出家
蜷川幸雄さん(1935-2016)
を紹介します。
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◆厳しい演出で有名な蜷川幸雄氏(以下、敬称略。)
蜷川は埼玉で生まれ、開成高校を卒業後、画家を志して、東京芸術美術大学を受験するも失敗。
偶然劇団東俳の演劇を見て感銘を受けて、入団します。
俳優として活動していたが、演出家のほうが向いていると悟り、
自ら劇団を興して、演出家としてデビューします。
蜷川演出作品は井上ひさしなどの現代劇からギリシア悲劇やシェイクスピアまで幅広く、海外でも評価され「世界のニナガワ」といわれました。
蜷川の演技指導は苛烈なことで知られ、
多くの罵詈雑言と時には灰皿が飛んでくるなど、非常に厳しかったそうですが、
その愛情深さと信念に多くの若手俳優が育成され、蜷川を慕うようになりました。
2016年に80歳で亡くなりますが、
数多くの俳優や関係者が弔問に訪れ、弔辞を読んだ弟子ともいえる藤原竜也は泣き崩れました。
◆名言
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昨日と今日のおまえは違うだろ。昨日からの1日で経験した何かを足さなければ、その演技は過去のもの。常に新しいものを提示する意識を持て!
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俺は自分自身にも厳しいんだよ。例えば「今回は舞台装置を使わない演出をしよう」「避けてきた歌舞伎に挑戦しよう」と常に新しいことに挑戦するよう意識している。
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意識すれば、いくらでも変わる。コミュニケーションは恐れず、訓練を積むべきだ。
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自己模倣するようになったらみっともない。人ってハードルを越えていくことで成長するものでしょ。
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俺は「常に困難なほうを選ぶ」タイプ。守るものなんて何もないし、いつも挑戦したい、攻撃的でいたい意識が強いんだ。
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若い人はデジタルの中にアナログの感覚を持ち込んで欲しい。身体的な触覚や生理感覚。表現や人との関係もきっと広げられるよ。
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心がけているのが「皆の顔を見る」こと。稽古場で衣装の子がしょげていたら「何かあったか?」と話しかける。「昨日のあの演技、酒落ていたな」と伝える。俺は演出でも細部に凝るからね、現場の細部もものすごい見るんだよ。「大丈夫、キミのことは見ているよ」という信頼関係を築かないと、それ以上のものは生まれない。だからスタッフがどんなに増えても、なるべくちゃんと名前を覚えて、呼んでやる。これも大切なことだね。
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とくに脚本に関しては、僕はセリフやト書きを変えることは絶対しません。作家というのは言葉を選び抜いて、ちょっとした語尾や句読点にも身を削るようにして書いている。そこに言葉を選び抜いてないヤツが勝手に変えるなと。だから、俳優に演技はいろいろ試させるけど、セリフを変えさせない。
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帝国劇場で「ハムレット」を演出したときは、朝日新聞に酷評された。批判されることは問題ないけど、論拠がおかしかったんだ。そのくせつまらない作品はほめてるし。そこで僕は「ニナガワ新聞」という反論を書いた新聞を発行して劇場ロビーに貼ったんだ。朝日数百万部VS壁新聞1部のケンカだよ。不当な権威には抗う。そんな態度が一貫してある。
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(藤原竜也に向かって)
俺のダメ出しでお前に伝えたことは全て言った。今は全て分かろうとしなくていもいい。いずれ理解できる時がくるから、そうしたら少しは楽になるから。アジアの小さな島国の小さい俳優になるなと。もっと苦しめ、泥水に顔をツッコんで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから
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むかちん