むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記133 お笑い・アーティストシリーズ③ 昭和の爆笑王~林家三平

新宿から歴史を発信!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は「お笑い・アーティストシリーズ」の第3弾で

落語界のスーパースター!

 

林家三平(1925-1980)

 

を紹介します!!!

 

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参照元 

http://www.tv-tokyo.co.jp/sanpei/reference.html

 

◆1925年に7代目柳家小三治の長男として誕生、

1945年、本土決戦に備えて、陸軍に徴兵され、肉弾特攻を命じられるが、終戦により九死に一生を得ます。

 

その後、父の正蔵に入門。

東宝名人会の前座となり、林家三平という芸名を名乗るようになります。

 

売れる前の三平は「登場人物の名前を忘れる」「噺の途中でつまる」など、

噺家としては致命的なミスが多かったため、父柳家小三治と比較され、

「鷹がとんびを生んだ」などと酷評されました。

 

しかし、時事ネタや独特の滑り芸でテレビの一番最初のお笑いブームの火付け役的な存在となっていき、「爆笑王」と呼ばれるようになりました。

スベリ芸は林家三平が先駆けといわれています。

 

こうした一面もありながら、非常にきっちりとした人で、

江戸落語噺家として非常に粋を大事にする方でした。

高座にあがるときは必ず黒の紋付袴であがっていて、色付きの着流しなどは着なかったそうです。

 

また下ネタも話していましたが、放送禁止用語は一切使わず、そうしたものを外道の芸として、非常に嫌っていたそうです。

 

◆三平は50代半ばで肝臓がんでこの世を去るのですが、

その死に際に非常に噺家として、そして人を笑わそうというこだわりが見えていたそうです。

 

こんなエピソードがあります。

 

意識が混濁してきた三平に医師がよびかけます。

 

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医師「しっかりしてください、あなたのお名前は?」

三平「加山雄三です。」

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死に際にこれできます??笑

 

プロとして、最期まで生きていた方なんだと感じます。

 

◆落語界では、師匠がなくなると、その門下は解散してしまうことが多いのですが

林家一門は鉄の結束で知られ、三平没後も師匠の系譜を非常に大事にし、

落語家としては、林家こん平が一門を受け継ぎ、またぺーやパー子などの漫才師も三平は育てましたが、彼らも非常に林家の系譜を大切にしています。

 

三平の息子の林家正蔵、二代目林家三平も落語界で活躍しています。

 

◆名言

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何でもまじめにやれよ。

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道を行く人がふり返り俺の顔を見て笑った友達に何かささやきまた、二人で笑った。
それでいいんだ。
この世の中にちょっとでも朗らかに笑える為に役立つこと。
それが僕の仕事なんだ。

 

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明るく、元気に、一生懸命。
これが芸の奥義だ。

 

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むかちん