むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記434 父と呼ばれた日本の偉人④ 日本の民俗学の父~柳田國男

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は父と呼ばれた日本の偉人シリーズの第四弾!!!

 

日本の民俗学の父として知られる

 

柳田國男(1875-1962)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

Kunio Yanagita.jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7

 

柳田國男は1875年、現在の兵庫県神崎郡に誕生します。父親は儒者であり医者でした。

幼少期から非常に記憶力に優れ、11歳のときに地元の旧家三木家に預けられ、膨大な蔵書を読破し、12歳のころに医者を開業していた兄に引き取られて、茨城県と千葉県の境に住みました。

 

17歳の時、尋常中学共立学校(のちの開成高等学校)に編入学東京帝国大学法科大学政治科(現・東京大学法学部政治学科)卒業後の1900年に農商務省に入り、主に東北地方の農村などを調査しました。

 

農商務省に入る以前、森鴎外と親交を持ち、田山花袋国木田独歩と『抒情詩』などを出版しますが、飯田藩出身の柳田家に養子に入り、当時没頭していた恋愛と小説をあきらめ、官界に進みます。

しばらくは文学関係者との交流は続きますが、大正時代に入り、自然主義私小説の在り方に嫌気がさし、文学とは距離を置き始めます。

 

農商務省に入ったのち、東北を中心に実情に触れるうち、次第に民俗的なものへと関心をシフトさせていきます。

柳田は公文書などの史料も偏りは避けられないと考え、徹底して現地調査にこだわりました。

 

『蝸牛考』での「方言周圏論」、『郷土生活研究法』における「重出立証法」などで日本民俗学の理論や方法論が提示されるなど、昭和初期は日本民俗学の確立の時代でした。

こうした観点からも柳田は日本民俗学の祖として非常に評価され、

1962年に87歳で柳田は亡くなりますが、その際、正三位勲一等が与えられます。しかし、当時の首相であった池田勇人が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し、旭日大綬章が供えられました。

 

むかちん