むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記432 父と呼ばれた日本の偉人② 日本の細菌学の父~北里柴三郎

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は父と呼ばれた日本の偉人シリーズの第二弾!!!

 

日本の細菌学の父、

 

北里柴三郎(1853-1931)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

Kitasato Shibasaburo.jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8C%E6%9F%B4%E4%B8%89%E9%83%8E

 

北里柴三郎は1853年に現在の熊本県に誕生します。

両親で庄屋を切り盛りしている家庭で育ち、教育に関しては甘えを許さず、親戚に預けて厳しいしつけを依頼しました。

 

1869年に細川藩の藩校時習館に入寮しますが、翌年には廃止され、熊本医学校に入校します。そこで教師マンフェルストに出会ったことが、北里が本格的に医学を志すきっかけとなります。

 

1875年、東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学しますが、在学中、よく教授の論文に口出しをしていたため、関係が悪く、何度も留年します。

1883年に医学士となり、予防医学を生涯の仕事としていくことを決意します。

 

1885年にはドイツのベルリン大学へ留学し、コッホを師事して、業績をあげます。

 

1889年には、世界で初めて破傷風菌だけを取り出す破傷風菌純粋培養法に成功、1890年には破傷風菌抗毒素を発見し世界の医学界を驚かせました。

さらには血清療法という体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発しました。

 

1892年に日本に帰国するものの、ドイツ滞在中に東大教授緒方正規の脚気の原因は細菌であるという説を否定したため、「恩知らず」という烙印を押され、東大医学部と対立する結果となったため、日本ではなかなか活躍の場を見いだせずにいました。

 

これを見た福沢諭吉が援助を申し出て、私立伝染病研究所が設立されることとなり、柴三郎は初代所長となります。

その後、国に寄付され内務省管轄の国立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)となり、伝染病予防と細菌学に取り組みます。

 

伝染病研究は衛生行政と表裏一体であるべきという信念の下、それを所管する内務省の管理下で研究をしていましたが、1914年に政府は北里に何も聞くこともなく、伝染病研究所の所管を突如文部省に移管し、東大の下部組織にするという方針を発表したため、北里は研究所所長を辞します。

 

そして、新たに私費を投じて、私立北里研究所を設立するのです。

 

1917年に福沢諭吉が亡くなると、諭吉に多大なる恩義を感じていた北里は慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長となります。そして終生無給で医学部の発展に寄与したと言われます。

 

1931年、麻布の自宅で死去。享年80歳でした。

 

むかちん