むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記431 父と呼ばれた日本の偉人① 日本の「新聞の父」~浜田彦蔵

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、父と呼ばれた日本の偉人シリーズの第一弾!!!

「新聞の父」と呼ばれた

 

浜田彦蔵(1837-1897)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%BD%A6%E8%94%B5

 

◆浜田彦蔵は1837年、現在の兵庫県に誕生します。

幼い時に父を、13歳で母を亡くした浜田は、母を亡くした直後、義父の船に乗って、途中で知人の船「栄力丸」に乗り換えて、江戸に向かう途中に、遠州灘で暴風によって船が難破し、太平洋を漂流していたところをアメリカ商船「オークランド号」に救助されました。

 

1851年、船員たちとともにサンフランシスコへ到着します。

翌1852年、アメリカ政府より日本へ帰還させる命令が出て、浜田らはサンフランシスコを出発、香港へ到着します。

 

そこから東インド艦隊長官のペリーの船で日本へ帰還する予定でしたが、香港で出会った日本人の力松の体験談を聞いて、自分たちが外交カードに使われるという懸念から、アメリカへ戻ります。

 

その後は税関長のサンダースに引き取られて、のちにニューヨークへ赴きます。

1853年浜田はアメリカ大統領、フランクリン・ピアースと会見、これは日本人としては初めてのアメリカ大統領との会見でした。

 

サンダースによってボルチモアのミッションスクールで学校教育を受けさせてもらい、カトリックの洗礼も受けました。そして「ジョセフ」のクリスチャンネームを名乗りました。

 

1858年、日米修好通商条約で、日本が開国したことを知り、望郷の念が強まりましたが、クリスチャンとなっていたので、そのままでは帰国はままならず、帰化してアメリカ国民となりました。

そして1859年、駐日公使・ハリスにより神奈川領事館通訳として採用され、長崎・神奈川へ入港し9年ぶりの帰国を果たします。

 

翌年には領事館通訳の仕事を辞めて、貿易商館を開いていましたが、当時は尊王攘夷の思想が強く、外国人やそれにかかわるものを排斥しようとする過激派もいたため、身の危険を感じ、浜田はアメリカへ帰国します。

 

1862年にはエイブラハム・リンカーン大統領とも会見、再び領事館通訳として日本に赴き、外国人居留地で商売も始めます。

 

1864年、日本で初となる日本語による新聞「海外新聞」を発刊します。主に英字新聞を日本語に翻訳したもので、これにより浜田は日本の「新聞の父」と称されます。

 

しかし、この新聞は赤字であったため、数か月後には消滅してしまいます。

 

その後は1869年、大阪造幣局の創設に尽力し、大蔵省に勤めます。

 

1897年、東京で死去。61歳でした。

 

むかちん