むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記294 トップを支えた実力者をめぐる旅行シリーズ④ 三井財閥を支えた実業家〜益田孝

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(〃^∇^)o_彡☆

 

今日は、トップを支えた実力者をめぐる旅行シリーズの第4弾!!

 

三井財閥を支えた実業家

 

益田孝(1848-1938)

 

を紹介します(*´∀`*)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E7%94%B0%E5%AD%9D

 

◆益田孝は1848年、現在の新潟県佐渡市に誕生します。

益田は江戸に出て、ヘボン塾(現明治学院大学)で学び、

アメリカ公使館に勤務して、初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使のハリスから英語を学びます。

 

1863年にはフランスに派遣された父と一緒に遣欧使節団に参加し、ヨーロッパを訪問。

帰国後は幕府陸軍に入隊します。

 

明治維新後は横浜の貿易商館に勤務して、1872年、井上馨の勧めで大蔵省に入省します。

 

1873年辞職し、1874年には英語を生かして、井上の設立した先収会社の東京本店頭取(副社長)に就任、井上の右腕として活躍します。1876年には中外物価新報を創刊。

 

同年に先収会社を改組して三井物産に改組し、同社の初代社長に就任します。

 

三井物産は、綿糸、綿布、生糸、石炭、米など様々な物品を取り扱い、

明治の後期には日本の貿易総額の2割をしめるほどの一大商社にまで発展します。

 

1888年、悲願であった三池炭鉱を入手、これが上海、香港、シンガポールなどに拡大し、三井物産を飛躍的に成長させる要因になりました。

 

三池炭鉱と合わせて得たのが、團琢磨で、彼と2人で様々な事業を設立します。

 

また高名な茶人としても有名で「鈍翁」と号して、「千利休以来の大茶人」と称されました。

 

益田は1938年、90才で亡くなります。

 

◆名言

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眼前の利に迷い、永遠の利を忘れるごときことなく遠大な希望を抱かれることを望む。

 

 

むかちん