むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記430 世界史上で父と呼ばれた男たち⑤ 実験物理学の大家にして原子物理学の父~アーネスト・ラザフォード

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は世界史上で父と呼ばれた男たちシリーズの第5弾!!!

 

実験物理学の大家で、原子物理学の父として有名な

 

アーネスト・ラザフォード(1871-1937)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

Ernest Rutherford LOC.jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89

 

アーネスト・ラザフォードはイギリス領のニュージーランド植民地で12人兄弟の第四子として誕生します。

 

ラザフォードは学生時代、とても成績優秀でしたので、奨学金をもらって進学することができました。

当時のイギリス領のニュージーランドはそのような制度が充実していました。

 

ラザフォードは16歳のときに親元を離れて、学生寮に入り、高等学校にあたるネルソン・カレッジに入学しました。

ここで数学と理科を教えていたリトルジョンという教師がラザフォードに一番最初に物理を教えた教師でした。

 

ネルソン・カレッジを卒業して、ニュージーランド大学の奨学金制度を受けて合格、1889年にニュージーランド大学のカンタベリーカレッジに入学します。

 

ラザフォードはここで物理を学び、ニュージーランド大学を最高の成績で卒業して、イギリス本国のケンブリッジ大学に留学する奨学金を得ることができました。

 

1895年、24歳のときにイギリスへ渡り、物理学の父ともいえるニュートンが研究生活を送ったケンブリッジ大学のトリニティカレッジに入ります。

1898年にはカナダのマックギル大学へと移り、物理はほとんど完成した学問と思っていた研究者たちの間に「新しい放射線」という分野を持ち込んだラザフォードにみな驚きました。

 

ラザフォードのチームの研究によって、放射線の世界が徐々に明らかになっていき、世界から注目されるようになりました。

そしてイギリスのマンチェスター大学に教授として迎え入れたいとの招きがあり、1907年にイギリスへ戻ります。

 

そして1908年には「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」によりノーベル化学賞を受賞します。

 

ラザフォードは学者としての功績は勿論ですが、多くの若い研究者を励まし、チーム全体として大きな業績が挙がるように努めました。

このラザフォードの姿勢によって、彼のチームから10人弱のノーベル受賞者を輩出することになるのです。

 

そして1937年に66歳で亡くなります。

 

むかちん