むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記427 世界史上で父と呼ばれた男たち② 精神分析の父~ジークムント・フロイト

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は世界史上で父と呼ばれた男たちシリーズの第二弾!!

 

精神分析の父と呼ばれる世界的に有名な精神科医

 

ジークムント・フロイト(1856-1939)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

Sigmund Freud LIFE.jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88

 

フロイトは、1856年にオーストリア帝国モラヴィア辺境伯国(現在のチェコ辺り)でユダヤ人の毛織物商人の息子として誕生します。

 

1859年にウィーンへ転居、1873年よりウィーン大学に入学して2年間物理を学びます。

その後、医学部の生理学研究所に入り、両生類や魚類などの脊椎神経細胞の研究をします。

 

1881年ウィーン大学を卒業し、1885年にはパリへ留学、

1886年、30歳のときに、ウィーンへ帰国し、治療経験を多く実施している中、治療方法に様々な改良を加えて、最終的にたどり着いたのは、自由連想法でした。

 

これを毎日施すことによって患者はすべてを思い出すことができるとフロイトは考え、この治療法を精神分析と名付けました。

 

1895年、35歳のときにヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であると結論付けます。

 

フロイトの功績としてやはり大きいのは、当時全く進んでいなかった精神病理の治療に注目し、精神分析学を作り上げてきたことにあります。

 

また心的外傷(トラウマ)も彼が提唱した考え方でした。

 

第一次世界大戦を終え、1932年、ナチスによるユダヤ人迫害が激しさを増すと

フロイトの友人たちは次々と亡命し、1938年にナチスオーストリア侵攻を行うと

フロイトもウィーンを離れて、ロンドンに到着します。

 

しかし1939年、フロイトは末期がんによって亡くなります。83歳でした。