むかちん歴史日記472 逆境こそチャンス!反骨を乗り越えてきた偉人・経営者・政治家② 苦労の末に電話を発明した~アレクサンダー・グラハム・ベル
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、反骨を乗り越えてきた偉人・経営者・政治家シリーズの第二弾!!
様々な障害を乗り越えて、電話を開発した
アレクサンダー・グラハム・ベル(1847-1922)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB
◆アレクサンダー・グラハム・ベルは1847年、スコットランドのエジンバラで誕生します。
幼少期から好奇心旺盛で、植物標本の採集や実験に夢中になっていました。
母親からは音楽などの芸術も教え込まれて、ピアノ演奏を習得します。
ベルが12歳の頃に母の聴力が失われ始め、手話を学び、さらには音響学も母がきっかけで学び始めます。
大学教授をしていた父親は聴覚に障がいのある人に単語の発音を教える「読唇術」を研究しており、グラハムや兄弟にコミュニケーション方法を伝授し、こうしてベルの発明の下地が作られていきました。
1863年、科学への関心を育てようとしたメルヴィルはイングランドの物理学者チャールズ・ホイートストンが開発した機械人形「オートマタ」をベルに見せに連れ出し、
その機械にベルはすっかり魅了されます。
ベルは兄と共にオートマタの制作を始め、完成させます。
このオートマタは空気の送り方ではっきりと「ママ」としゃべるように見えるものとなり、ベルはこの結果に興味を深めて、今度は飼い犬で動物実験を行います。
犬にほえ方、唇の使い方を教え込んだことによって、 "How are you grandma?"と言っているように聞こえるのです。
これを機に音響伝達について本格的に研究するようになり、
熱心に研究を続けますが、ベルに悲劇が襲います。
ベル自身も体調が悪い状態が続きますが、弟が結核にかかり、寝たきりになったのち、この世を去ります。
その後なんと1870年には兄も結核で他界、父も体調を崩しました。
この状況を危機に感じた一家はカナダで農場を購入し、移り住みます。
そこでもベルは電気・音声の研究を続け、ボストンの学校で視話法の指導も行いました。
1872年にはボストンで視話法を教える学校を開校し、1873年からはボストン大学で発声生理学と弁論術の教授に就任します。
しかし広がる活動に体がついていかなくなり、音響実験に専念することを決めます。
このころ電報が主な通信手段でしたが、コストを抑えるために、「1本の線で複数の文書を送る」方法などが求められていました。
ベルもこの解決に乗り出し、「1本の導線で複数の高さの音を送る方法」を研究して、1876年についに特許出願します。
1877年「ベル電話会社」を設立、その後設立から10年間で電話使用数は15万台になり、1879年にはエジソンが開発した「カーボンマイク」の特許を取得して長距離電話も可能になります。
ベルの長年の努力がついに実ったのです。
その後も金属探知機の開発、水中翼船の開発も成功。
貪欲に研究し続けました。
1922年、長い闘病生活の末、75歳で亡くなります。
むかちん