むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記137 スポーツ超人インターハイシリーズ② 昭和の大横綱~大鵬

新宿から歴史を発信!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日もスポーツ超人インターハイシリーズと称して、

昭和の大横綱

 

大鵬(1940-2013)

 

を紹介します!!

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B5%AC%E5%B9%B8%E5%96%9C

 

大鵬は1940年にロシア革命に伴い亡命してきたウクライナ系ロシア人の父と日本人の母との間に樺太で誕生しました。

太平洋戦争でソ連軍が南樺太へ進軍してきたため、小笠原丸に乗って、北海道へ引き揚げることとなったが、母親が体調不良と船酔いで稚内で下船。

 

この小笠原丸はその後、留萌沖で攻撃を受け、沈没することから、

この偶然により九死に一生を得ます。

 

その後、母親の再婚、離婚などもあり、貧しい生活が続き、大鵬自身も納豆を自ら売り歩いて生計を立てます。

 

中学卒業後、定時制の高校に通いながら林野庁の仕事をしているころに巡業に来ていた二所ノ関部屋を紹介され、

高校中退して、相撲部屋に入門します。

 

◆1956年に初土俵を踏み、「二所ノ関部屋のプリンス」という愛称をつけられます。

1959年に「大鵬」という四股名を与えられます。

1960年1月場所で新入幕を果たすと、初日から11連勝を果たします。

これは1場所での記録としては昭和以降では最多の記録となります。

この記録は小結柏戸によって止められますが、ライバルになるだろうと目されていた二人の一番が早くも実現する格好となりました。

 

7月場所で新小結に昇進、9月場所で当時としては史上最年少の20歳3か月で新関脇となります。11月場所では13勝2敗の成績で、当時の史上最年少となる20歳5か月で幕内最高優勝。史上最年少で大関へ昇進します。

 

1961年9月場所で、ライバル柏戸、平幕明武谷との優勝決定戦を制し、優勝を果たすと、柏戸とともに横綱昇進を果たします。

大鵬の21歳三か月での横綱昇進はそれまでの最年少記録を更新するものとなりました。

 

◆その後は「柏鵬時代」という相撲の黄金時代を柏戸とともに作ります。

しかし、柏戸が休場を繰り返し、大鵬のみとなると、客足も減少気味になります。

その後、大鵬は高血圧、不祥事、ケガなどに見舞われますが、横綱として実力を発揮し続けました。

 

大鵬が活躍していた時代は「巨人・大鵬・卵焼き」と称され、子供が好きなものの一つに挙げられましたが、大鵬アンチ巨人だったという逸話があります。

ただ同年の王貞治とは親しかったそうです。

 

1971年、大鵬は現役を引退します。

 

◆引退後、大鵬は「大鵬部屋(現在の大嶽部屋)」を創設し、後進の育成を行います。

ロシアでも相撲で国際交流を行っています。

相撲博物館館長も務めました。

 

その後2013年、大鵬は72歳でこの世を去ります。

 

◆名言

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「もうだめだ」と思った次の瞬間に「もう一歩!」と踏ん張る「耐える精神力」が、何者にも負けない、打ち勝つ力を養う

 

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けいこは連続で何番もとって、苦しくなってからが勝負。休み休みやっても力はつかない

 

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優勝を口にするより、まず努力。結果は後からついてくる

 

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上り坂、勢いに乗っている時はいい。窮地に立ったとき、人間の本当の価値が決まる

 

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横綱が物言いのつくような相撲をとってはいけない

 

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一流と呼ばれる人は、常に謙虚でいるものだ。現状に満足することは決してなく、時には自分の存在さえ否定する。新しい自分に出会うために、稽古という基本を日々、積み重ねることが一流への条件である

 

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3年先の稽古をする。5年、10年先のことを考えて辛抱すること

 

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毎日毎日同じことの繰り返し。コツコツ、一つのことを繰り返し続けることです

 

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本当は、昔のことは話したくありません。力士生活は二十七年前に終わり、親方として新たに出発したわけですから。偉業を成し遂げたのをいいことに過去の遺産にあぐらをかいている人、よくいますよね。ああいうふうにはなりたくないんです

 

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(戸田(後の羽黒岩)に敗れた時、あとでビデオで確認すると戸田の足が先に土俵を割っており、大鵬が勝っていたはずの取り組みだったことが判明した際に発言した言葉)あんな相撲をとった自分が悪い

 

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横綱になったのは素直だったからです

 

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天才というのは何もしなくてもそれなりの実績が残せる人のこと。私の場合はそうじゃない!努力、努力でやってきたんだから

 

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真剣勝負は真剣な稽古からしか生まれない

 

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人生はこれでいいということはありません。人間は死ぬまで自分との闘いであり勉強なのだと思います

 

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むかちん