むかちん歴史日記332 存在の意味を考え続けた哲学者たち② スコラ学から存在論を提唱した~トマス・アクィナス
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
トマス・アクィナス(1225?-1284)
を紹介します(*^▽^*)
◆トマス・アクィナスは1225年ごろに南イタリアの貴族の家系に誕生します。
父親はランドルフ伯、母親は神聖ローマ帝国のホーエンツォレルン家につらなる血筋でありましたが、
伯父がモンテ・カッシーノ修道院の院長であったため、アクィナスはやがて、そこを継ぐことを期待されていました。
このような背景から5歳で修道院に預けられ、そこで学びましたが、
ナポリ大学を卒業すると、両親の意に反して、ドミニコ会に入会します。
家族は彼に翻意を促しますが、彼の決心は揺らぎませんでした。
ついに家族が折れて、ドミニコ会への入会を認められると、ケルンで学び、そこで生涯の師、アルベルトゥス・マグヌスに出会います。
のち、パリ大学神学部教授となり、その後は教皇ウルバヌス4世の願いによってローマで暮らすことになります。
アクィナスは非常に研究熱心であったと言われ、
最大の業績といえば、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学思想を統合させたことにあると言われています。
スコラ学の大成者と言われ、著作である『神学大全』はキリスト教世界に大きな影響を与えました。
彼は神の存在証明を神学にアリストテレス的な哲学を用いて行いましたが、
それは当時の時代背景が大きく影響しています。
彼が生きた時代は十字軍によるイスラムからのイェルサレム奪還が図られた時代。
キリスト以外の価値観が流入してきたことによって、
それまでの理屈では説明しきれないことが増え、キリスト教的価値観が揺らぎ始めたのです。
揺らいだその価値観を確固たるものにしようとしたのが、アクィナスの研究でした。
キリスト教を確固としたものにしていくために、アクィナスはアリストテレス的哲学を神学に活用して、神の存在を証明しようとしたのです。
1272年、フィレンツェ教会会議で、アクィナスは神学大学を設立するよう求められ、温暖な故郷、ナポリを選んで、著作にも集中しました。
1274年、第二リヨン公会議への出席を要請されて、ナポリからリヨンへ向かう道中、健康状態を害し、この世を去ります。49歳没。
◆名言
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誰かを愛することは、その人に幸福になってもらいたいと願うことである。
むかちん